虎門中央法律事務所弁護士 箭内 隆道
2016年にインド滞在を開始した当初、私は、日本企業対応もしているインドの法律事務所を間借りしていたのですが、同所の弁護士にインド法の勉強を始めたいと相談したところ、まず渡されたのが、インド契約法とインド仲裁法の基本書でした。インドでの取引で日本企業がその目的を実現するためには、意図する合意内容がインドで成り立ち得るのか、契約としての有効要件を知っておかなければならない、というわけです。(その国の実情に即した適切な紛争解決条項を設けることも含めて。)
明治4年制定の契約法
インドの成文の契約法は「T h e I n d i a nContract Act, 1872」です。日本の民法も明治29年制定で、約120年ぶりの債権法大改正の施行が来年4月に控えているところですが、インド契約法はこれより更に古い、日本の元号だと明治4年に制定されたことになります。かように古い法律ですが、さしたる大 改正もなく、ただ、イギリスのコモンローが反映された法律として、インドのみならずイギスのそれを含めた膨大な判例法を、解釈指針として参照することになります。
ただ、学んでみると、同法は、契約全般について「いかなる合意が契約としてvalid(有効)、またはvoid(無効)か」を規定する部分が大きく、実際の契約書作成等に際しては各種契約類型毎に他の法律の参照も必要で(例えば物の売買に関しては1930年物品販売法など)、また債権の時効については裁判が可能な期間の問題としての手続法があるなど(1963年出訴制限法)、日本の「民法」のように、全てがここにある、という法律ではありませんでした。
「競業避止の合意は無効」
インド契約法の10条には以下の定めがあります。(①乃至⑤の番号は筆者の挿入です。)All agreements are contracts if they are made by the ①free consent ofparties ②competent to contract, ③for a lawful consideration and ④witha lawful object, and are ⑤not herebyexpressly declared to be void.
すなわち、①自由意思に基づく合意で(※意思を支配されていないなど)、②契約締結する能力があり(※法律上の成年であるなど)、③合法な約因があり(※これは日本にはない要件ですが特別気にする必要はないと思っています)、④合法な目的を有し(※公序良俗に反しないなど)、⑤そして、この法律で明示的に無効とされていない、そのような合意であって初めて、有効な契約になる、と規定しています。
そして、それ以下の条文で、①から⑤までの定義やバリエーションが、詳細に規定されているのです。
どれもそれなりに確認の必要はありますが、ここで一つ挙げますと、上記の④及び⑤に関する規定として、「競業制限の合意は無効(Agreement in restraint of trade,void.)」という条文があります(27条)。標題にあるtradeは、本文では「profession,t r a d e o r b u s i n e s s」と敷衍されていますので、取引というよりは広い意味でのcommercial activity(商業活動)を意味すると思われます。
営業の自由がインド憲法上保障されていることに由来し、取引制限は公の秩序(publicpolicy)に反するから、そのような契約は合法な目的のものとは言えず、④の観点から、明示的に違法、と規定されているわけです。例外(Exception)として、営業権を譲渡した者が譲受人に対して特定地域での競業避止を合意したものについては有効であると、明文で規定されていますが、ただこれについても、地理的制限には合理性が認められる必要がある等判示した裁判例があり、有効要件は厳しいようです。
そして、ここに言う取引制限には、従業員に競業避止義務を課すことも含まれます。特に退職後の競業避止義務の有効性については、訴訟で争われると、日本においては会社と従業員双方の利益不利益等を総合考慮して合理性があるかで判断されるのに比し、インドでは端的に「無効」とされることが多いように見受けられます。
このように、企業間(代理店契約等で)、企業と従業員間ともに、競業避止義務は(特に契約期間終了後のものは)、インドでは日本でのそれよりも、より効力を認められ難い(法律自体に禁止条項がある)、ということは、頭の片隅に置いておかれてよいのではと思います。
「国際仲裁でインドの裁判所を利用する?」
なお、冒頭でインド仲裁法が出てきた関係で付言しますと、インド国内では2015年の仲裁法の改正(国連機関の最新のモデル法に準拠した内容に改正されたため、この意味では日本の仲裁法より進んでいる)を機に、「インドを国際仲裁のhub(中心地)に」という機運が盛り上げられているのですが、この改正により、インド国外で国際商事仲裁を行う場合でも、インド国内の相手方財産について「interim measure(暫定措置。日本の保全処分に相当)」を申立てることができるようになりました(同法9条、2条(2))。
要するに、インド企業との間で、仲裁手続自体はシンガポールなどの第三国で行う旨の仲裁合意をしていた場合でも、それを始める前にインドにある相手方資産を押さえることができるようになっているわけで、基本的には在インド日本企業としても歓迎すべき改正だと私は思っていますが、ただ、このインド国内での暫定措置の利用は、当事者の合意によって排除することも可能です。ですので、むしろ応訴の負担の方が大きい、と判断すべき事情があれば、暫定措置の利用を排除する条項を契約書に設けることは必須、ということにはなります。_
「保証人」にも注意が必要
さらに、インド契約法は、保証契約についても定めています。
ちなみに、先述した、来年4月施行予定の、日本の債権法改正においては、保証契約にも大きな変更が見られます。主なポイントとしては、
①連帯保証における絶対効の制限(連帯保証人について債務免除や消滅時効の完成といった事情があっても、主債務者には影響がないこととなった)
②個人の「根保証」全般における有効要件の加重(債務者が一定の取引から負担する将来の不特定の債務を保証するに際しては、極度額を定めておくことも必要となった)
③一定類型の個人保証において、契約締結前に「保証意思宣明公正証書」を作成することを義務付け(事業用貸付金の保証などについて、保証契約締結日の1か月以内に。想定外の責任を負わせないよう)
④保証人に対する、主債務者・債権者による情報提供義務の新設(保証契約締結時の情報提供に問題があれば保証人は契約を取り消し得る)―――などが挙げられます。
これに対し、インド契約法では保証はどのように定められているかというと、例えば上記の③及び④のような、「保証人保護」に手厚い規定はありません。そもそも条文上は、保証契約は書面でも口頭(oral)でも有効とも明文で規定されています(126条)。日本では保証契約は書面でしなければ無効です。
ただ、上記②に関連して説明すると、インド契約法においても「c o n t i n u i n gguarantee」という、根保証類似の保証形態があります。一連の取引に係る債務の保証を意味する概念です。日本における極度額と同様に金額の上限を定めることも、「米を100俵」のように取引対象の数量で責任を画することもできるようです。
そして、この類型の保証については、保証人は将来の取引に係る責任については債権者に通知することでいつでも撤回(revoke)できる、という規定が存在します(130条)。日本では根保証の元本(保証人の責任額)が確定する事由について種々規定はありますが、保証人の一方的意思表示で事後的に責任を制限できる旨の規定は、さすがにありません。この点では、インドの方が保証人の地位への配慮に厚い、とも言えそうです。但し、条文上は、通知をすれば直ちに責任を撤回できるのですが、これを契約(保証契約)で、通知にしてから撤回の効力が生じるまでには一定期間を必要とする、と合意しても有効、とする裁判例もあるようです。よって、ここも立場に応じて工夫のしどころ、ということにもなります。
最後に、上記①と関連するトピックとしては、インド契約法では保証人の責任は主債務者のそれと「co-extensive」であると規定されています(128条)。同一の広がり、ということで、債務の内容はもちろん、債権者としては主債務者と保証人のどちらに請求してもいい(保証人だけに対して訴訟を提起しても問題ない)ということを意味します。インドの保証人は、日本で言えば基本的には「連帯保証人」と同様、ということになっています。但し、この「co-extensive」についても、契約で別の定めをすることは可能、つまり保証人の責任を主債務者のそれより制限することはできる、と理解されています。
法を知り、何を合意するか判断を
以上の次第で、今回は、その国のルールを知ること、すなわち、自らの関心事は合意として成り立つのか、さらには、ルールはあるとしてそれとは別の内容の合意をすることは認められるのか、などを知ることは、インドビジネスに関しても当然に重要である、という話でした。
やない たかみち 1994年3月、早稲田大学法学部卒業。2000年10月に東京弁護士会登録、虎門中央法律事務所入所。16年から18年3月まで、法務省受託事業「(インドにおける)日本企業及び邦人を法的側面から支援する方策等を検討するための調査研究」のため、ニューデリーをはじめインド各地に滞在した。
同調査研究報告書(法務省ホームぺージ)
http://www.moj.go.jp/housei/shihouseido/housei10_00186.html
インドでの調査や生活を綴ったブログ
http://takamichiyanai-india.blog.jp/
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