中印つなぐロジスティックハブ

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標高約240メートルのマンダレー・ヒルから眺めるマンダレー市街

「アジア最後のフロンティア」として注目を集めてきたミャンマー。だが、多くの日系企業の投資は最大都市ヤンゴン周辺に集中し、それ以外の地域への進出はまだほとんど手つかずの状態だ。北部にある同国第2の都市マンダレーは、中国とインドをつなぐアジアの東西回廊上に位置し、外国企業の進出を期待して工業団地や複合都市開発などのビッグプロジェクトが目白押し。日本でいえば京都に当たる古都、学都、そして商都の「知られざるマンダレー」を訪ね、その可能性を探った。【毎日アジアビジネス研究所・西尾英之、写真も】

12階建てのコンドミニアム

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大手地場企業が開発、販売しているコンドミニアム

「いらっしゃいませ。ご希望は購入ですか? 賃借ですか?」。コンドミニアムの販売事務所を訪れると、女性販売員が声をかけてきた。

マンダレー南部にある旧空港脇の約20ヘクタールの土地に、高級ホテルやショッピングセンター、コンドミニアム(分譲マンション)などを建設する「ミンガラ・マンダレー」プロジェクト。フィットネスジムやプールを備え、ニューヨークの建築家がデザインしたという12階建てのコンドミニアムの販売価格は、1戸2億3000万チャット(約1660万円)から5億チャット(約3600万円)。ミャンマーの物価水準を考えれば驚くべき値段だが、すでに全体の8割以上は販売済みで、残るは約20戸のみという。

「外国人でも購入可能です。実際に住まなくても、賃貸に出せば投資は充分回収できます」。販売員はそう説明した。

すでにショッピングセンターはオープン済みで、ブランド製品を扱うショップや和食レストランを含む飲食が地元の若者で賑わっている。近く高級ホテルも開業予定だ。

プロジェクトを手掛けるのは、中国との国境貿易の会社として1999年にスタートし、大手地場企業グループとして急成長した「ニュースターライトグループ」。同グループは、201
2年「ミンガラ」プロジェクトをスタートさせ、ミャンマー最大規模の「マンダレー・コンベンションセンター」を中心とした複合開発プロジェクトなど、マンダレー周辺や道路距離で約450キロ離れた中国との国境の町ムセで、7カ所の大規模開発を行っている。

日本並みの価格のコンドミニアム購入者の多くが、中国のビジネスマンだという。「今はヤンゴンがナンバー1だが、マンダレーはまだまだ発展の可能性を秘めている。特に中国のビジネ
スマンがマンダレーに強い関心を持っている」。マンダレー商工会議所のチョーミン会頭は話す。

「立地のよさ」で巨大開発 

一方、マンダレー中心部から南西に約60キロのミョータ地区で、総面積4560ヘクタールと、ヤンゴン郊外で日本の協力で進むティラワ開発の総面積の2倍近い巨大開発を進めるのが
「マンダレー・ミョータ工業開発」社だ。

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開発構想の模型を前に、プロジェクトを説明するマンダレー・ミョータ工業開発社のアウンウィンカイン会長

「工業団地ではありません。『産業都市』と呼んでください」と同社のアウンウィンカイン会長。工業団地を中心に、住居エリア、ショッピングエリア、インターナショナルスクール、ゴルフコースまで整備するという、壮大な全体計画だ。住居エリアの中心部には今年、先陣を切って米国のコースデザイン会社がデザインしたゴルフコース「ミョータ・ナショナル・ゴルフクラブ」が開業した。

工業団地の分譲価格は、ティラワの半額以下。約18キロ離れたエーヤワディー川に河川港を建設し、投資促進のための国の税制優遇措置も受けることができる。すでに中国、インド、タイなど7カ国の食品や飼料工場などが稼働している。

アウンウィンカイン会長が強調するのが、マンダレーの立地のよさだ。「東と西を見れば、(中国とインドで)世界人口の40%が我々の周囲にいることになる。両国と1本の道でつな
がり、ミャンマー国内だけではなく、アジア全体で見てもバンコクやシンガポールなどと並ぶ、大きな可能性を秘めた場所だ」とアピールする。

東西の動脈が通るマンダレー

NNAH map_1Nov2016.pdミャンマーの国土のほぼ中央に位置するマンダレーは、インドシナ半島の南岸部に沿ってインドへと続くアジアハイウェー1号線と、中国・昆明からムセを経由してマンダレーに至る山岳路線の同14号線が合流する結節点だ。この地域の1号線は2号線との重複区間。地図の通り、アジア南部の東西を結ぶ大動脈が、すべてマンダレーに集まっている。

マンダレーからムセは、日中戦争時に中華民国支援のため建設された「ビルマ公路」の一部だ。対中貿易に支えられた軍事政権が1990年代から、国内企業に委託して改修を進め、現在は完全舗装の有料道路。地元ドライバーによると、マンダレーからムセまで大型トラックで
12時間ほどだが、通行量が多いことから途中、渋滞が発生し、さらに時間がかかることも多いという。

ジェトロのまとめによると、ムセを経由する中緬間の国境貿易額は16年度1年間で53億6200万ドル。これはミャンマーの貿易額全体の18・4%に達し、マンダレー・ムセルートが、同国の物流の大動脈になっていることは明らかだ。今年10月には、中緬両国政府がマンダレー・ムセ間の高速鉄道建設に向けた事業可能性調査の覚書を交わすなど、中国の「一帯一路」構想の一部をなすこのルートは、ますますそのつながりを深めている。

インド東部のインパールへと続く道も、国境まで450キロ強。かつて日本軍がインパール作戦に失敗し敗走した「白骨街道」に重なる。途中、未舗装の悪路があり、「車で行けないことはないが、時間は天候次第」(マンダレーのタクシー運転手)。中国と比較して、現状ではインドとの国境貿易はわずかだが、インドのモディ首相は16年、ニューデリーを訪れた当時のテインチョー・ミャンマー大統領に、ミャンマー側の道路改修支援を約束。インドは中国の一方的なミャンマー進出をけん制する狙いもあり、ミャンマーとの交易の拡大に力を入れている。

日系企業が空港運営

「ミャンマー政府は、国土の中心に位置し、中印両国につながるマンダレーをロジスティックのハブに育てたい思惑がある。空港民営化の背景にも、そのことがあるのだろう」。ミャンマー政府との間で30年間を基本とする事業権契約を結び、15年からマンダレー国際空港の運営に乗り出した「MJAS」(MC|Jalux Airport Services)社の廣井太副社長はそう話す。

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日系企業「MJAS」社が運営するマンダレー国際空港の搭乗手続きカウンター

同社は三菱商事と、日本航空グループの航空関連商社である「JALUX」社がそれぞれ45・5%、ミャン
マー最大規模の企業グループ「YOMA」が9%を出資する合弁企業。マンダレーに進出している、数少ない日系企業の1社だ。

廣井さんは「ヤンゴンに比べインフラ整備が遅れ、農業以外の産業はこれから育成していかなければならない段階」と現状を冷静に分析する。

しかし、中華系を中心とした活発な投資を背景に、マンダレー空港の利用者は急増している。民営化前の11年度52万人だったのが、15年度101万人、17年度132万人と右肩上がりで、利用者の空港利用料や航空会社が支払う着陸料などが主な収入源の同社は、初年度から黒字を出し続けている。

「中国とインドは(マンダレーを)虎視眈々と狙っている。一方でマンダレーのポテンシャルは日本企業には知られておらず、日本向けにマンダレーをもっとPRすることが必要だ」と廣井さんは語る。

歴史活かしてビール再生

ヤンゴンには現在、大使館に在留届を出しているだけで約2800人、実際にはこれを大幅に上回る日本人が在留し、日系の進出企業も900~1000社に上ると見られている。これに対し、マンダレー在住の日本人は「30人ぐらい」(廣井さん)、日系企業は「大手は一桁の範囲」(ジェトロヤンゴン事務所)という状況だ。「ヤンゴンがマンダレーの100倍の市場であることはなく、日系企業はヤンゴンばかりに集中し過当競争に陥っているのではないか」と廣井さんは指摘する。

マンダレーには、顧客となる大規模鉱山が数多くあるミャンマー北部の地理的条件から、大手建設機械のコマツが2014年に現地子会社を設立。また、バイクの乗り入れが原則禁止されているヤンゴンと違い需要が大きいことから、直接の進出ではないもののホンダ、ヤマハのバイクの販売店も置かれている。

ユニークなのがキリンホールディングスだ。同社は2015年、ヤンゴンにあるミャンマー最大手のビール会社「ミャンマー・ブルワリー」社に出資。一方で17年、マンダレーに拠点を置く「マンダレー・ブルワリー」社にも出資し、市内にある醸造工場におけるビールの製造・販売ビジネスを引き継いだ。

マンダレーブルワリー社は、英国のビルマ併合とほぼ同時期の1886年にビール製造を開始したアジアでも有数の歴史を誇るビール会社。ミャンマーブルワリー社が1990年代に生産を開始した新興企業であるのとは対照的だ。

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自社製品を前にミャンマーのビール市場について語る藤原義寿・マンダレーブルワリー社長

経済成長でアルコール消費量が年10%ずつ増え続けているミャンマーで、拡大する市場をつかむには国の中央にあるマンダレーに、もう1カ所、製造工場を持ちたい。マンダレー社への出資にはそんな思惑がある。しかし、かつては国内で8割を誇っていたという老舗マンダレー社のシェアは、国営企業が経営していたこともあり、キリンが出資した昨年暮れの時点で全国で1%、マンダレー市内でも2%程
度という、ひどい状態に陥っていた。

「品質が安定せず、十分な営業活動もやっていない。地元でも高齢者は知っていても、若者はマンダレービールを知らないという状況でした」と、キリン出身の藤原義寿・マンダレーブルワリー社長。まずは日本流の品質管理を徹底し、おいしいビールを地元の人に味わってもらうことから始めた。

ビールは輸送途中の振動と熱に弱い。道路事情が悪くトラックが揺れる上、コールドチェーンが確立されていないこともあって、それまで全国に出荷していたのを、上ビルマ地方に集中することにした。

消費者にできるだけ鮮度の良いビールを楽しんでもらうため、製造・出荷体制を見直すことで、昨年までは製造から消費者まで数ヶ月かかっていたのを数週間に短縮した。

地元マンダレー市内や周辺に約100カ所ある、「アウトレット」と呼ばれるバーベキューなどとともにビールを楽しむビヤホールには、生ビールを醸造場から直送している。そのうち30店では、製造直後から消費者の飲用時まで温度管理が徹底された、通常製造から3日以内の特別な生ビールも販売している。

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日が暮れ、一杯ひっかける市民でにぎわうアウトレット。ビール各社のシェア争いの主戦場だ

多くのアウトレットでは各社の生ビールをサーバーから味わうことができ、兄弟会社でシェアトップのミャンマービールや、2位のダゴンビールと激しいシェア争いを繰り広げている。自宅に冷蔵庫がない人々は、アウトレットで購入したビールをペットボトルで持ち帰り、「家飲み」を楽しんでいるという。

「市場が縮小する中でシェアの取り合いをしている日本に比べ、ミャンマーはこれから市場が伸びるフロンティア。しかも上ビルマは所得が低いのにヤンゴンなど下ビルマと同レベルの消費量がある。今後、生活が豊かになれば、もっとビールが飲まれるようになる可能性がある」と藤原さん。

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130年以上の歴史を誇るマンダレーブルワリー社の醸造場

英領となる以前のビルマ最後の王国の首都だったマンダレーには、王宮や数多くの仏教施設などヤンゴンにはない「歴史」がある。醸造場にも130年前の設立以前からの建物や20世紀前半の醸造設備が残り、ビールの博物館のようだ。「我が社には他社にはない歴史がある。ブランドをしっかりと立て直し歴史的な価値を伝えていけば、新しいマーケットが拓けるはずです」

「学都」人材を日本につなぐ

古都であり、現在は商都でもあるマンダレー。もう一つの顔は、北部随一の総合大学であるマンダレー大学を始め、工科大、医科大、外語大など多くの大学を擁する「学都」。IT関連の大学だけで3校あり、毎年1000人を上回る卒業生が新たに送り出される。

この「高度IT人材」を人手不足の日本のIT業界につなげようと、東京に本社があるIT企業「グローバルイノベーションコンサルティング株式会社」(GIC)は16年、子会社の「GICミャンマー」社(本社・ヤンゴ
ン)の支店として、マンダレーに事務所を開設した。

現地で主に大学新卒の技術者を採用し、日本語教育を行ったうえで希望する社員を日本へ〝転勤〟させる。条件は「日本語能力試験N2合格」。日本の就労ビザは大卒以上が条件となる「技術ビザ」を取得し、社員であるうちは期限なく日本で働くことが可能になる。東京に異動したミャンマー人社員は、GIC本社でIT開発業務に当たるほか、日本国内のIT関連企業へ派遣され「バイリンガルIT人材」として活躍するシステムだ。

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真剣な表情で日本語の授業を受講する「GICミャンマー」社マンダレー支店の社員たち

住宅地にあるオフィスは、1階が日本から発注されたシステム開発などを行う「オフショア開発」業務スペース。2階は日本語教育の教室だ。受講している社員は大部分が女性。「ヤンゴンは会社を頻繁に移る『ジョブ・ホッピング』も多く、人材確保が難しくなっているのに比べ、マンダレーは就職先も少なく優秀な人が数多く残る。ヤンゴンほど海外志向は強くなく、日本へ行っても数年で家族のいるマンダレーに戻りたいという社員も多いのですが」と、マンダレー支店で日本語教師を務める藤原美和子さん=写真左

入社試験は毎年10月、マンダレーとヤンゴンで「ジョブフェアー」として実施される。マンダレーでは今年、フェアーに約530人が参加し、このうち約230人がGICM社に応募。IQテストと数学の試験で40
人に絞り、最終的には面接で18人を採用内定した。

マンダレー10自身もIT技術者として東京で勤務した経験を持つGICミャンマー社ゼネラルマネージャー、トゥンリンタンジンさん(31)=写真右=は、「以前はミャンマーのIT技術者はシンガポールでの就職が第1希望だったが、ビザの制度が厳しくなり今は日本が一番人気」。同じくゼネラルマネージャーのスゥウェイトンさん(34)=写真中央=は、「採用試験の面接は、ITのスキルよりも、やる気や『日本の環境で仕事ができる人か』を見る。日本語ができる人にITを教えるよりも、理数系のアタマの人に日本語を教える方がよい。日本語は時間をかければ誰でも習得できる、との考え方です」

現在、日本語N2試験へ向けた講座を受講している社員は、16年の試験で採用したマンダレー1期生だ。すでにN2に合格した社員もおり、この1月から順に日本へ転勤し、マンダレー出身のITエンジニア1期生として「東京デビュー」する。来春からは続々とその後を追っていく予定だ。

 

メモ:マンダレー
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旧王宮の城壁越しにマンダレー・ヒルを望む

ヤンゴンの北約700キロ。ミャンマー随一の大河・エーヤワディー川の中流部にある。2014年に約30年ぶりに実施された国勢調査によると、マンダレー市の人口は173万人で、ヤンゴンに次ぐ第2の都市。人口617万人のマンダレー地方域(旧管区)の域都で、ザガイン、カチン、シャン各地方域・州などを含めた「上ビルマ」地方全体の中心都市でもある。

1886年の英国によるビルマ併合までのビルマ王朝の最後の王宮が置かれ、英国支配時代にも上ビルマの首府となった。標高約240メートルのマンダレー・ヒルの南側にある、濠に囲まれた旧王宮を中心に市街地が広がる。

街の中心はヤンゴンから続く国鉄の終着駅、マンダレー中央駅。さらに北部のカチン州ミッチーナなど、各地への支線が続いている。駅の北西側には、ビルの中に食品から衣料品、家電製品などの店がひしめくゼイジョー市場があり、マンダレー市民のほか上ビルマ全域から業者が仕入れに訪れる。

バイクが禁止されてきたヤンゴンに比べ、マンダレー市民の主要な足はバイク。日中の市場周辺は、バイクの洪水で道路の横断も困難だ。

市内には、ヤンゴンに比べ王朝時代の仏教寺院などが数多くある。郊外に足を伸ばせば英国が建設した高原の避暑地ピンウーリン。車で3~4時間ほど走れば、アンコールワットなどと並ぶ仏教遺跡バガンなど観光資源には恵まれている。中国や欧州からの観光客が多い。