人口2億人。アジアに残された未開拓の巨大市場――。そう言われて、即座にパキスタンという国名を挙げるビジネスマンはどのくらいいるだろうか? 世界第6位の人口大国であるばかりでなく、国民の年齢中央値は24歳。人口ピラミッドは富士山に近い型を描く、アジアでも有数の「若い国」だ。無限の可能性を秘めたパキスタン市場を紹介する。【毎日アジアビジネス研究所・西尾英之】

日本の5倍の赤ちゃんが生まれる国 粉ミルク製造現地化で販売拡大狙う――森永乳業

「日本の出生数は毎年100万人弱。パキスタンはその5倍の年500万人の赤ちゃんが誕生する。人口動態的に、これだけの規模で開拓余地のある市場は他にありません」。2017年に創業100周年を迎えた大手食品メーカー「森永乳業」で海外事業を担当する、椎野工・執行役員海外営業部長はそう話す。

パキスタン東部ラホール郊外に建設された森永乳業の粉ミルク製造工場=同社提供
パキスタン東部ラホール郊外に建設された森永乳業の粉ミルク製造工場=同社提供

同社は16年、パキスタンでの幼児向け粉ミルク現地製造、販売に乗り出すことを決め、現地パートナーと合弁で販売会社「NutriCo Morinaga」社を設立。すでに第2の都市ラホール郊外に工場がほぼ完成し、今年秋にも生産を開始する予定だ。初年度は270万パック、金額にして約14億パキスタンルピー(約10億円)の売上を目指している。

同社のパキスタンへの乳幼児向け粉ミルク輸出は、40年以上前から始まった。「市場参入以降、売上規模は小さいながらも粘り強く事業を続けてきた」(椎野氏)という状態だったが、最近になって急激に伸びた。2018年度の販売額は10年前の6倍に上った。

森永乳業はインドネシア、マレーシアなど10の国と地域で自社ブランドの粉ミルクを販売している。現在、パキスタンの粉ミルク市場は年間2万トン規模。森永乳業は、すでに現地生産している世界最大の食品企業「ネスレ」の現地合弁会社に次いで、第2位、約25%のシェアを確保している。

パキスタンの薬局や雑貨店、スーパーマーケットでは、乳幼児向け粉ミルクが棚に山積みで販売されている。粉ミルクは常温で流通でき、農村部も含めどこでも比較的容易に購入が可能だ。

問題は価格だ。赤ちゃんに粉ミルクを1年間与え続けると1000ドル程度の出費になる。国民1人当たりGDPが約1500ドルのパキスタンでは決して安い金額ではない

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パキスタンの商店の棚に山積みで販売されている
森永乳業の乳幼児向け粉ミルク=同社提供

現在、パキスタンで粉ミルクを購入できる余裕がある層は、上位10~15%の富裕層だという。現地生産化には、少しでも価格を下げて「粉ミルク」に手が届く層を拡大し販売量を増やそうとの狙いがある。

椎野氏は「粉ミルクを買うことができる消費者の割合は、国民1人当たりGDPの数値と強い相関関係にある」と指摘する。今世紀初頭に1人当たりGDPが1000ドル強だったインドネシアは、毎年5%前後の経済成長を続け現在では同4000ドル近くに達した。粉ミルク購入可能層は爆発的に拡大し、全体の6~7割以上に上るという。

パキスタンも今世紀初頭の同500ドル前後から上昇し、現在は同1500ドル程度だ。国際収支の悪化から昨年度の経済成長率は鈍化する見込みで、国際通貨基金(IMF)はしばらく低い成長率が続くとの見方を示しているが、中長期的には今後も成長軌道にあるのは間違いない。

人口ボーナス期2072年まで

アジアでも有数の若い国、パキスタンで脚光を浴びる「ベビー市場」。粉ミルクの森永乳業やネスレ社のほか、パンパースのブランド名でベビー用紙おむつを販売する「P&G」社も、これまでサウジアラビアから輸入していたのを現地生産に切り替えるという。ベビーローション、ベビーパウダーなどを販売する「ジョンソン&ジョンソン」社など、各国で活動する大手多国籍企業が進出し、積極的な宣伝活動を通じて事業を展開している。パキスタンの成長を支える原動力は「人口」だ。「インドでも子供は2人という家庭が増えているが、パキスタンはまだまだ4、5人の子供を持つ家庭が普通。人口の拡大力は(人口規模が似た)インドネシアと比べても大きい」。2015年から17年まで日本貿

易振興機構(JETRO)カラチ事務所に駐在した、同機構海外調査部アジア大洋州課の北見創リサーチマネージャーはそう話す。

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パキスタンのEコマースサイトで販売されている赤ちゃん向け紙おむつ=西尾撮影

国勢調査によると、パキスタンの人口は1981年に8400万人だったのが、98年に1億3200万人、19年ぶりに実施された2017年の調査では2億人を突破し、2億700万人に達した。今後も高い出生率は続き、国連の推計では2050年には3億人を超え、インドネシアとブラジルを超えてインド、中国、米国に次ぐ世界4位の人口大国になる可能性が強い。

JETROは今後も人口が増加し市場として有望でありながら、日本企業にとってまだ開拓の余地がある国を「クリティカル・マス市場」と位置付けている。ブラジル、インド、メキシコ、トルコ、ナイジェリア、コロンビア、南アフリカ、エジプト、パキスタン、バングラデシュの10カ国だ。10カ国の特徴はこれから本格的に、成長の原動力となる「人口ボーナス期」(総人口に対する生産年齢人口の比率が高い時期)を迎えることだ。

人口ボーナス期には、生産に携わる人口が多く労働供給力が高まる。働く世代の拡大で消費が増え、一方で高齢者が少ないため社会保障費も少なくて済む。10カ国の中でもパキスタンはアフリカのナイジェリアに次いで人口構成が若く、2072年までの長期間にわたってボーナス期が続くという。日本企業のパキスタンへの直接投資はこれまで自動車メーカーなどの一部の大手企業に限られ、食品や生活関連などの分野では欧米や中国企業に先行を許している。

「ベビー市場は人口増の恩恵を最初に受ける分野だが、今後は若者向け、さらにその上向けの市場が順次伸びていく。日本企業にとってパキスタンが、『知られざるヒドゥン・ジュエル(隠された宝石)』であることは間違いありません」。椎野氏は話す。

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パキスタン家庭の子供たち。人口は2050年には3億人を超え、世界4位の人口大国となる可能性が強い=西尾撮影


自動車市場急成長に備え工場拡大へ――スズキ

部品メーカーには進出チャンス

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パキスタン人従業員の手で組み立てられるスズキ車=カラチ郊外の同社工場で、同社提供

2億人のフロンティア市場パキスタンは、新興の自動車マーケットとしても注目を集める。「1990年代に生産を現在のカラチの工場に統合した当時から、年間約13万台の生産能力を維持してきたが、現在、工場の拡充を検討している」。パキスタンの「パック・スズキ」社とインドの「マルチ・スズキ」社の役員も兼務する齊藤欽司・スズキ本社常務役員海外四輪営業本部長は、そう話す。

パキスタンの乗用車・小型商用車市場は現在、約20 ~25万台規模。JETROの北見氏によると、市場は2025年までに50万台まで広がると言われてきたが、経済減速の影響もあり50万台達成は30年ごろになりそうとみる。

日本車シェア100%

パキスタンではスズキ、トヨタ、ホンダの合弁会社が現地生産しており、自動車市場は日系3社でほぼ100%のシェアを占めてきた。スズキは「スイフト」「ワゴンR」、そしてインド市場で長年のベストセラーとなった「マルチ800」と同系の「メヘラン」などを生産販売し、マーケットで5割を超えるシェアを確保。トヨタは現地では高級車扱いの「カローラ」、ホンダは「シティ」「シビック」を投入している。

年間400万台と日本に迫る巨大市場に成長したインドで圧倒的な存在感を示すスズキだが、実は生産開始はパキスタンの方が早い。1975年に現地メーカーでスズキ車の組み立てを開始。83年に「パック・スズキ」社を設立し、翌年からは国内での営業活動も開始した。カラチ東部のビンカシム工業団地にある工場を拠点に、昨年8月には四輪車の累計生産台数200万台を達成した。

弱点はサプライヤーの層の薄さ

悩みの種は、自動車の生産に重要な原材料や部品サプライヤーの層の薄さだ。齊藤氏によると、パック・スズキ社が取引のあるパキスタン国内の部品メーカーは102社で、隣国インドの400社よりも大幅に少ない。

102社のうち、日本企業が出資した合弁会社は5社。20社が日本企業と技術指導(TA)契約を結ぶ地元企業で、TAを含めても「日系」と呼べるのは25社に止まる。パック・スズキ社は部品の多くを海外から調達しており、現地で生産された部品の使用率は~70%程度。インドでの現地化率が95%に上るのとは対照的だ。

パキスタン政府は2006年から、完成車には高い関税率を課し、自動車部品には30%~50%の関税を課す政策を取った。部品の国産化を促す狙いだが、国内に十分に裾野産業が育っていないため、完成品メーカーは輸入部品に頼らざるを得ない部分もある。輸入や関税のコストは価格に反映し、同じ車種でも他国に比べパキスタンでの販売価格が高くなる現象が生じる。

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カラチ郊外の工業団地にあるパック・スズキ社の工場=同社提供

部品はASEAN各国や日本から輸入している。陸続きのインドでパキスタンの10倍規模で自動車を生産しているスズキにとって、大量生産で単価の安いインド製部品を輸入して使えるようになれば、パキスタンでの車の販売価格を引き下げることができる。

しかし、独立後70年にわたって対立する両国関係のなかで、簡単には実現しない。「パキスタンにとっても輸入金額が減って貿易収支改善につながり、完成車の輸出にもつながり悪いことはない。政府には長年、両国間のトレードをやろうと働きかけ、理解を示す人もいるのですが」と齊藤氏。

部品はASEAN各国や日本から輸入している。陸続きのインドでパキスタンの10倍規模で自動車を生産しているスズキにとって、大量生産で単価の安いインド製部品を輸入して使えるようになれば、パキスタンでの車の販売価格を引き下げることができる。しかし、独立後70年にわたって対立する両国関係のなかで、簡単には実現しない。「パキスタンにとっても輸入金額が減って貿易収支改善につながり、完成車の輸出にもつながり悪いことはない。政府には長年、両国間のトレードをやろうと働きかけ、理解を示す人もいるのですが」と齊藤氏。

新規参入に優遇措置

シャリフ前政権は2016年、新たな自動車開発政策(ADP)を導入した。自動車メーカーの新規参入を促すため、新規参入メーカーに対して部品輸入時の関税率を引き下げ、工場の機械設備も1回に限り無税で輸入できることになった。これを受け、ヒュンダイなど韓国、中国の完成車メーカーが相次いで現地生産の開始を表明。これまで市場を独占してきた既存の日本車メーカーはハンディを背負わされることになった。

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パキスタン全国に展開するスズキ車の販売店=パンジャブ州チチャワトュ二で、同社提供

JETROの北見氏は「日本車の価格が高いこともあり、パキスタン政府には間口を広げて新規メーカーを呼び込む狙いがあるが、価格を引き上げているのは税金や関税。既存の日系メーカーから見ればひどい内容だが、すべての新規参入メーカーが生き残るわけではない」と見る。

ADPは5年間の時限措置で、将来的には撤廃され同条件での競争となる。また、消費者は価格だけではなく、メーカーの信頼性やアフターサービスなど、多くの条件を考慮して車を選ぶ。

スズキの齊藤氏は「車は長い間使えば必ずメンテナンスが必要になる。私たちは国内167カ所に販売拠点を持ち、サービス工場が併設されている。さらに今後、地方にも投資規模を小さくした拠点を増やし、お客様のできるだけ近い場所でいつでもメンテナンスができるようにして、安心して買ってもらえるようにする」と、販売、メンテナンス網のさらなる充実を掲げる。「ネットワークの拡充はインドでやっていることと全く同じ。多くのメーカーが進出しているインドで、我が社カラチ郊外の工業団地にあるパック・スズキ社の工場=同社提供8毎日アジアビジネスレポート 2019年6月号は5割のシェアを維持している」と自信を示す。

中古車規制徹底が追い風に

自動車メーカー全体への追い風となるのが、昨年、総選挙で勝利して発足したイムラン・カーン政権が打ち出した不正な中古車輸入の撲滅だ。中古車の持ち込みは在外パキスタン人が持ち帰る場合などを除き認められていないが、これまでは徹底されず多くの中古車が国内に持ち込まれていた。新政権は制度を徹底し、年間6万台規模であった中古車輸入は10分の1程度に激減している。「全体で25万台規模のマーケットで6万台の中古車が減ったのは大きい」と齊藤氏。

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街中を走るスズキ車=同社提供

印パ両国で自動車ビジネスに携わる齊藤氏は「インドは92年以降、徹底した外資呼び込み政策に転じ、政権が代わっても規制緩和を続けた。その一貫性がインドへの投資を呼び込んだ」と分析する。「パキスタンは隣接するアフガニスタンの混乱など政治的、地政学的な問題を抱えてきたが、そういう要因は最近、薄れてきている。今後、現政権のように外国投資への重要性を理解している政権が続けば、90年代のインドと同じような成長が起きる」と話す。

「パキスタンの2億人の人口は非常に大きなポテンシャル。インドのような急成長段階に『いつ達するか』という問題で、それに備えるためにリーズナブルなうちに生産能力を拡大しておこうということです」

 

 

新政権、中国の存在――パキスタンの今をどう捉えるか?

パキスタンは、中国の習近平主席が唱える「一帯一路」構想で重要な位置を占め、中国の融資によるインフラ開発が進む。政治的には昨年7月実施された総選挙で、クリケットの大スターだったイムラン・カーン氏が率いる野党「パキスタン正義運動」(PTI)が勝利し、8月に新政権が発足した。パキスタンの「今」について、三菱商事で長年にわたりパキスタン・ビジネスに携わった安藤公秀・同社前パキスタン総代表とともに考えた。【西尾英之】

イムラン・カーン首相元クリケットの英雄

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イムラン・カーン氏=西尾撮影

イムラン・カーン氏は1952年、東部の都市ラホールの生まれ。1970年代から90年代まで、同国で最も人気があるスポーツ・クリケットのパキスタン代表チームで活躍。特に一度引退しながらチームに呼び戻された92年のワールドカップで、主将としてパキスタンを初の優勝に導き、「パキスタン人の間では、長嶋さんと王さんとイチロー選手と大鵬を足した感じ」(安藤氏)という国民的英雄だ。

W杯後に再度引退し、絶大な人気を背景に96年、「腐敗政治一掃」を掲げて政党「パキスタン正義運動」を設立し、政界入りした。

カリスマ性が高く、人を引きつける魅力がある。パキスタンでは90年代から、故ベナジール・ブッド氏が率いた「パキスタン人民党」(PPP)と、ナワズ・シャリフ氏が率いた「パキスタン・イスラム連盟シャリフ派」(PLM―N)の2大政党、それに軍部を加えた3者の激烈な権力闘争が繰り広げられ、政権のたらい回しとも言える状況が続いてきた。そのなかで、カーン氏は少数政党として苦労してきたが、13年から首相を務めたシャリフ氏がパナマ文書に絡んだスキャンダルで失脚し、カーン氏は18年の選挙で初めて勝利し政権の座に就いた。

安藤氏は「カーン氏は、生まれて初めて与党となり苦労しているところだろう」と話す。苦労とは、外貨準備高急減や通貨パキスタンルピー急落などの〝外貨危機〟への対応だ。パキスタンの外貨準備高は13年に底を打った後、16年に200億ドル近くまで回復したが、その後再び急減。カーン氏が首相就任後の昨年10月には、必要とされる輸入額の3カ月分を割り込む80億ドルにまで減少した。

カーン氏は中国やサウジアラビアなどから支援を獲得。一方で当初、国際通貨基金(IMF)への支援要請には消極的ともされ、対IMF交渉の窓口となったアサド・ウマル財務相が今年4月、突然辞任する騒動も起きた。5月に入りようやくIMFとの間で60億ドルの財政支援を受けることで合意。「外貨危機」はようやく一息ついたが、政権は今後、IMFの下で財政再建のための税の徴収強化などに取り組むことになる。

外貨危機はカーン政権のせいではなく、前任のシャリフ政権の責任だ。「前政権は借金を重ねて短期的に景気を盛り上げたが、外貨を獲得する産業は育てなかった。膨大な債務をつくって新政権に引き継いだ」とJETROの北見氏は解説する。

汚職に関して、「PPPは真っ黒、PML―Nは灰色」と言われる。その点、カーン氏のPTIは清廉だ。「混乱は、カネ(賄賂)を払った人が優遇される政策から、正しい政策に転換するための生みの苦しみとして、通らなければならない道。今後も数年、経済的には厳しい状況が続くかもしれないが、3者のサークルから脱却してカーン氏が政権に就いたのは、方向として決して悪いことではないのではないか」と安藤氏は話す。

中国の存在CPECをどう見るか?

パキスタンの対外債務増大の一因とされるのが、中国の習近平主席が提唱する「一帯一路」構想に基づき両国が2015年に発表した「中国パキスタン経済回廊」(CPEC)プロジェクトだ。

中国西部とアラビア海の間にあるパキスタンは、中国にとって地政学的に極めて重要な位置にある。パキスタンを経由すればマラッカ海峡を通らずに本土と中東やアフリカとつながることができ、エネルギー安全保障上の意味合いも大きい。

CPECは中国主導で開発が進むパキスタン西部バロチスタン州のグワダル港と、北部の山岳部にある中国新疆ウイグル自治区を結ぶ、パキスタンを縦断する巨大経済開発プロジェクト。両地点間の道路や鉄道網の開発のほか、パキスタンでの発電所建設、カラチなどの都市交通整備などの事業が目白押しで、プロジェクトの規模は総額620億ドルにのぼる。

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総延長3000キロに及ぶ「中国パキスタン経済回廊」(CPEC)の道路建設が進む工事現場=イスラマバード郊外で2018年7月、松井聡撮影

CPECをどう捉えるかは、さまざまな見方がある。未整備のインフラが経済成長のネックになっているパキスタンは強い期待を寄せる一方、隣国インドはグワダル港の中国による軍事利用を懸念。また、パキスタンが対中国債務で身動きが取れなくなる「債務のわな」に陥り、これまで以上に中国一辺倒の外交・経済関係に陥るとの懸念も根強い。

しかしJETROの北見氏は「CPECは、パキスタンに雇用を生み発電所をもたらす。パキスタンにとって、何もやらないよりは悪くない」と見る。現地ではCPECの建設工事に日本企業の重機が使われている。「現状で、資金を貸してくれるのが中国しかなければ、仕方ないのではないか」

安藤氏は「CPECで日本や欧米がパキスタンから排除される可能性は極めて低い」との見方だ。シャリフ、カーン両政権は、ことあるごとに日本政府に対し「中国との関係は重要だが、他国との関係を犠牲にするものではない」と繰り返してきた。「シャリフ政権当時は『中国が何でもやってくれる』との姿勢もあったが、新政権になって金額を減らすなど調整が進んでいる。中国も学習効果が出てきて、是々非々で無茶はしなくなってきている」という

「元々、パキスタンはビジネスでは日本と共に大きくなってきた」と安藤氏。日パの経済関係はパキスタン独立後、日本がパキスタンから綿花を買い付けるところから始まった。三菱商事は1954年にカラチに駐在員を設置。米国三菱商事設立と同時期で、アジアでは最古参の拠点の一つだ。その後、日本から織機を輸出。さらにスズキやホンダ、トヨタの自動車産業が進出し、粉ミルクなどの消費財の輸出も本格化した。パキスタンには長く日本と共に育ってきた企業グループが数多く存在する。今後も日本との経済関係が薄れることはない。安藤氏の見方だ。

治安は大幅に改善

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ごった返すカラチ旧市街の中心部。
歩いているのはほとんどが男性だ=西尾撮影

日本の新聞やテレビで報じられるパキスタンのニュースは、テロなどの暗い話題が多い。企業がパキスタンでのビジネスを考えるとき、気になるのが現地の治安情勢だ。

だが、かつてに比べるとパキスタンの治安は明らかに改善されてきている。スズキの齊藤欽司氏は「1994年ごろは毎日、地元紙の1面に毎日『殺害された人』の人数が出ていた。不幸にも現地社員がバンで走っていて拉致され殺害された事件もあった。しかし、今は危険な状態は改善され、それなりの対処をしておけば日本人をパキスタンに送り込むことは十分可能だ」と話す。

安藤氏によると、2011年から12年にかけてカラチでは、独立後、インド各地からカラチに移り住んだ人々とアフガニスタン系や元々の人々との抗争が頻発し治安が悪化。しかし政府はレンジャー部隊を投入してテロ、犯罪の掃討作戦を行い、「今では治安は劇的によくなった」という。

現在でも「ノー・ゴー・エリア」と呼ばれる治安の悪い地域に入るのは危険とされるが、「当時はカラチの8割はノーゴーエリアだったが、今は実際は危険な地域はほとんどない」と安藤さん。13年にはスイスの金融機関が発表した危険な都市ランキングでカラチは下から3番目にランクされたが、現在は「下から50~60番目」という。

パキスタンといえば、多くの国民が「イスラム過激派」的な思想を持つとのイメージもあるが、これは明らかに誤解だ。2億人の人口を持つ同国で、テロなどを起こす過激な思想に染まった人々はごく一握り。安藤氏は「イスラム教は本来、他の宗教に対する許容性を持っており、一部のパキスタン人は『過激派はイスラム教徒ではない』とも言う」と話す。

逆にパキスタン人は、一度自身の「客人」と定めた人物に対しては、日本人よりもはるかに強いホスピタリティを示す傾向がある。これはイスラム文化であると共に、部族社会でもあるパキスタンの地域文化でもある。深い人間関係を築けば関係は生涯続き、ビジネスの成功にもつながる面がある。

今月に入り、中国主導で開発が進むバロチスタン州グワダルにある高級ホテルが武装グループに襲撃され、死者が出る事件が起きた。これはイスラム勢力ではなく、地元バロチスタン州の分離独立を主張する勢力による犯行だ。これまでもグワダルを巡り襲撃事件が起き中国人労働者が犠牲になったこともあるが、日本企業が標的にされたことはない。

安藤公秀氏

 

安藤公秀氏 1982年三菱商事入社。カイロでアラビア語を研修しバグダッド、リアドで勤務した後、98年から2003年までパキスタンに駐在。その後インドネシアを経て10年から今年3月まで再びパキスタンに赴任し、同社パキスタン総代表としてカラチに駐在。18年にはパキスタン政府から、外国籍の民間人に授与される最高の勲章「パキスタンの星」を贈られた。

 

パキスタン豆知識

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イスラム教の高等教育機関の図書館。イスラム
各国からの留学生もいる=西尾撮影

パキスタンの正式名称は「パキスタン・イスラム共和国」。その名の通り人口の96%がイスラム教徒(うちスンニ派85~90、シーア派10~15%)でイスラム教を「国教」と定める。少数ながらキリスト教徒やヒンズー教徒もおり、イスラム教が禁じるアルコール飲料のビールも一部で製造されている。国旗の緑はイスラム、白は非イスラムを表す。

イスラム教徒は1日5回の礼拝が義務。都市部ではきちんと5回の礼拝をこなす人は少数派だが、日中、仕事中でも席をはずして礼拝する人もいる。

5月末現在、イスラム社会では日中の飲食を断つ1カ月の断食月「ラマダン」の最中。外国企業に勤める従業員でも日中の飲食は控える人が大部分だ。日の出前に起床して朝食を食べる必要があるため、二度寝で遅刻したり、眠気から日中の生産性が落ちたりするなど、企業にとっては〝弊害〟もある。日没後は、仲間や近所などで集まって豪勢な夕食「イフタリ」を食べる習慣があり、異教徒の日本人駐在員も招かれることが多い。

今年のラマダン月は6月4日ごろに終わり、その後、1年で最もにぎやかなラマダン明けの祭り「イード」が始まる。

国土

南はアラビア海に面し北、東、西は陸地で中国、インド、イラン、アフガニスタンと接する。南部のシンド州と西部のバロチスタン州は砂漠が中心。国を縦断するインダス川水系の中流域に当たる東部のパンジャブ州は豊かな農地が広がる緑の大地だ。

インダス川の河口部に位置するカラチは、1947年の独立後にパキスタンの首都となり、インドからイスラム教徒が多数流入して急成長した。現在、人口は2000万人を超え国の経済、金融の中心として機能する。シンド州はカラチ以外は人口が少ない。

第2の都市でパンジャブ州の州都ラホールは、ムガール帝国時代の遺跡が残る古都。インドとの国境から25キロほどしかなく、パキスタン建国後は首都とすることも検討されたが、インドに近すぎるとの理由でカラチに決まったともいわれる。現在の首都は69年に遷都された北部にあるイスラマバード。外国人が設計した計画都市で、美しく区画整理された市街地に公共機関や住宅、マーケットなどが配置され、「最もパキスタンらしくない街」と評される。

日本からパキスタンへ入るには、今年になってパキスタン国際航空の北京経由の直行便が休止となった(近く再開とのうわさも流れている)ため、バンコクなどで乗り継いでカラチ、イスラマバード、ラホールへ入るのが一般的。タイ国際航空はバンコクから3都市に直行便がある。

また、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイやアブダビからは各都市に多数の便が運航されている。「南アジア」の枠で語られることが多いパキスタンだが、実際には距離が近く、多数のパキスタン人が出稼ぎに出ているUAEやサウジアラビアなど湾岸地域との関係が深い。IMFは「中東、北アフリカ、アフガニスタン、パキスタン」を一つのエリアとしてまとめている。JETROの北見氏は「ドバイはパキスタン市場の窓口になりえる。アジアという区分にこだわるあまりパキスタンが空白になっているのであれば、アプローチ方法の変更も検討すべきだ」と話す。

カラチとラホールは直線距離で1000キロ以上離れており、航空機で1時間45分かかる。因みにカラチ・ドバイ間は約2時間、ラホール・ドバイ間は約3時間
だ。

言語

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ウルドゥー語の地元紙=西尾撮影

国語はウルドゥー語。話し言葉としてはインドの公用語ヒンディー語とほとんど同じで、インド人とパキスタン人であっても会話に支障はない。書き言葉はペルシャ文字を改良したもので、右から左に書かれる。新聞などの活字はおどろおどろしく見え、日本人にとってパキスタンを取っ付きにくくしている一因かもしれない。

パキスタンはパンジャブ人、シンド人、パシュトゥン人(北西部を中心にアフガニスタンとまたがって住む)、バローチ人などから構成される多民族国家で、実際に家庭で話されているのはそれぞれの民族の言葉であることが多い。一方で英語は公用語とされ、ビジネスの現場ではほぼ英語だけで事が足りる。東南アジア各国と比べると一般国民の間での通用度も比較的高い。

女性の社会進出

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イスラマバードの国立大学に通う女子大生たち
=西尾撮影

国際的な企業や官公庁では、女性の進出は日本と同等かそれ以上に進んでいる。しかし一歩街に出ると、マーケットや飲食店で働く女性の姿を見かけることはまれ。一般的な飲食店では男性席と、女性を含めた家族連れ席に席が分かれていることも多い。

一般のパキスタン人家庭と親しく接するようになると、決して家庭内で女性が一方的に抑圧されているわけではないことが分かる。しかし、中間層の家庭でも、兄弟姉妹のうち男児だけに高等教育を受けさせるなどのケースはよくあり、識字率も女性は男性に比べかなり低くなる。

パキスタンは世界的には繊維産業の集積地だが、バングラデシュなどと比べても女性が働き手になることが少なく、労働集約型産業発展のネックになっているとの見方もある。

西尾Pにしお・ひでゆき 1987年毎日新聞社入社、福島支局、社会部などを経て2003年よりイスラマバード支局、ニューデリー支局、アジア総局長(バンコク)を歴任。17年10月より現職。