巨大経済圏構想「一帯一路」を進める中国に対し、米国は「自由で開かれたインド太平洋」協力を強化している。その尖兵としてアジアを駆け巡っているのが、国務省のアトゥール・ケシャップ首席次官補代理(東アジア・太平洋担当)だ。25年の外交官キャリアを持つケシャップ氏は対中最前線であるスリランカとモルディブで大使を務め、米国防大学幹部も歴任した安全保障の専門家で、日本政府の期待も高い。【毎日新聞論説委員 及川正也】

■中国にらむ主導権争い

あたかも「インド太平洋協力」の推進月間のような9月だった。3~4日にはモルディブで「インド洋地域会議」が開かれ、ハリー・ハリス駐韓米大使が「インド太平洋地域の未来のための協働」をテーマに講演した。9~12日には東京で日米両政府主催の「インド太平洋地域向け日米サイバー演習」が実施され、東南アジア諸国連合(ASEAN)やインド、ニュージーランド、台湾などが参加した。

軍事演習も盛んだ。2日からは米海軍とASEAN諸国の海軍との初の合同軍事演習「オームクス」がタイで始まり、19日には陸上自衛隊と米陸軍の実動訓練「オリエントシールド」の一環で山口湾沖を航行する海上自衛隊潜水艦救難艦「ちはや」に米陸軍の多目的ヘリ「ブラックホーク」が着艦。26日からは日本、米国、インドの海軍・海上自衛隊による合同軍事訓練「マラバー」が長崎県・佐世保沖で始まっている。

米議会では18日、上院外交委員会が「米政府のインド太平洋政策」をテーマに長時間の公聴会を開催。証言したデイビッド・スティルウェル国務次官補(東アジア・太平洋担当)は中国の南シナ海での海洋進出、「一帯一路」構想、台湾問題などを踏まえ、「中国はインド太平洋に抑圧的な代替ビジョンを持ち込み、この地域を都合よく再編し、自由と開かれた秩序を維持する国々と競争している」と批判した。

こうした中、積極的に「インド太平洋協力」の旗振り役を演じているのが、ケシャップ氏だ。今年7月に東アジア・太平洋局の首席次官補代理に就任し、インド太平洋戦略の実務上の責任者となった。9月上旬には日本を訪問し、日米印の合同軍事演習を控えた長崎県・佐世保基地を訪れ、ブラッド・ストーリングス司令官とインド太平洋戦略についてのすり合わせを行った。中村法道・長崎県知事とも面会した。

その後、東京では経済産業省と共催した日米サイバー演習で講演。経産省によると、演習は「電力やガスなどの重要インフラ分野に用いられる制御システムのセキュリティー」がテーマ。サイバー空間は「第5の戦場」ともいわれ、中国やロシア、北朝鮮が個人データや技術の流出、軍事施設や重要インフラへの攻撃などを狙っている。演習はこれに対抗する「自由、公正かつ安全なサイバー空間」の実現を目指すものだ。

1910_americ-anasian-connection.pngケシャップ氏は経産省や外務省の高官との協議では、日米に加えて豪州やインド、韓国などとの連携強化を強調。日米政府関係者によると、外務省幹部との会合では、中国やロシア、北朝鮮問題で突っ込んだ協議をしたという。とりわけ、9月11日の内閣改造に重なる時期での来日となり、「新たな体制でも引き続きインド太平洋での協力促進を確認した」(同)という。

来日した際に私もお会いする機会があったが、アフガニスタンから香港まで広範な国際問題に対して深い知見を有する熟達の外交官という印象を受けた一方、とても気さくで人間味あふれる側面も見せていた。とりわけ、日本との関係を重視する姿勢がひしひしと伝わり、外務省も「インド太平洋のビジョンを推進し、地域の協力を強化するには適任だ」(幹部)と高く評価している。

■重要な役割果たすインド

インド太平洋地域には現在、世界人口の半数以上が住んでいるが、2050年までには10人に7人がこの地域に住むと予想されている。日本、米国、中国、インドといった世界の経済大国がひしめき合い、世界で最も急成長するASEAN地域ではエネルギーをはじめさまざまな需要があり、米国などはとりわけ自由と民主主義の拡大を大きなテーマに掲げている。

ケシャップ氏は「このダイナミックで多様性にあふれるインド太平洋地域で米国の価値や利益を促進することが重要だ」とさまざまな場面で述べている。今回の来日ではとくにインドとの協力の重要性を指摘している。これはケシャップ氏がインド系移民の家系に育った生い立ちとも関係しているのかもしれない。

インド・パンジャブ州出身の国連開発経済学者を父に持つ。外交官生活の振り出し要職は、2005年から3年間務めたニューデリーの米国大使館の政治担当次席公使。インドの原子力政策の調整役を務め、インド政府と緊密に連携し、戦略的パートナーシップを構築した。その後も南アジアを中心に担当し、オバマ前政権下では南アジア担当の国務次官補も務めた。

9月22日には、インドのモディ首相が国連総会出席に先立ち、米南部テキサス州ヒューストンで開かれたインド系米国人の集会に参加した。そこに現れたのが、トランプ大統領だった。トランプ氏は演説で「皆さんが米国人であることを私は誇りに思う」と述べ、モディ氏との良好な関係をアピール。2人で手をつないで観衆に声援に応える場面もあった。ケシャップ氏もこうした関係構築に貢献したといえるだろう。
2015年から3年間、スリランカ兼モルディブ大使を務めた。スリランカのハンバントタ港は中国による「債務のワナ」の典型例といわれる。2017年7月から99年間にわたり中国国有企業にリースされる。モルディブも2013年に就任したアブドッラ・ヤミーン大統領の下で中国が最大の融資のパートナーとなり、中国の資金を得て経済開発を推進してきた。ケシャップ氏はそれを目の当たりにしてきた。

ケシャップ氏は安全保障問題にも精通している。帰国後は2018年夏から1年間、ワシントンのフォート・マクネアにある米国防大学の国際安全保障カレッジ副学長を務めた。サイバー戦争への知見を含め、現代的な安全保障戦略や戦術に関して研究を深めたようだ。ケシャップ氏は昨年、インド洋地域における米国の利益を促進した指導力が認められ、国務省の最高栄誉の1つである特別名誉賞を受賞している。

ハリス大使は、モルディブでのインド洋地域会議での講演で、ケシャップ氏が大使当時、米国とスリランカの軍同士の正常化に貢献したことを高く評価した。東西冷戦後の米国の「一極支配」が後退し、中国やロシアの台頭する状況は、国際政治が新たなステージに向けた過渡期にあることを示している。その中で、ケシャップ氏が、「インド太平洋」での主導権争いを担う米国の先導役であることは間違いない。

おいかわ・まさや

1988年毎日新聞社に入社。水戸支局を経て、92年政治部。激動の日本政界を20年余り追い続けた。2005年からワシントン特派員として米政界や外交を取材。13年北米総局長。16年4月から論説委員