新型コロナウイルス感染は相変わらず世界各地で猛威を振るっているが、コロナ感染拡大の封じ込めに成功している数少ない国の一つがベトナムだ。ベトナム現代史研究の第一人者で、現在は日本の協力でハノイに設立された日越大学学長、毎日アジアビジネス研究所シニアフェローも務める古田元夫・東京大学名誉教授に、コロナ封じ込めの背景や経済の見通し、人材育成の課題や日越大学のチャレンジなどについて解説してもらった。【毎日アジアビジネス研究所】

コロナ感染拡大を封じ込めたベトナム

ベトナムの7月5日現在のコロナウイルス感染者は355人、これは絶対数で世界の157位であり、人口1万人あたりの感染者数にすると約0・037人で、同じく感染防止に成功しているとされる台湾の0・19人よりもかなりよい数値である。また、死者が今のところ出ていないのも、ベトナムが誇ってよい成果であろう。

ベトナムがコロナ防止に成功した要因として、しばしば指摘されるのは、政府の果断な措置と、政府の上からの意思を徹底させやすい共産党一党支配という政治体制である。確かに、ベトナム政府の動きは機敏で、武漢からの来訪者2人にベトナム国内では初の感染が出た翌日には、武漢からのフライトはすべてキャンセルされ、2月1日には、中国とのフライトも停止になった。また、感染が発生した地区、建物、機関などの隔離・封鎖も機敏で、潜在的感染の危険がある人の追跡も徹底している。私自身も、欧米からの帰国者に感染者が出始めた3月の初めに、感染した社会科学アカデミーの総裁が主催した会議に出席した所長がいる研究所の所員が、日越大学でのセミナーに出たため、「間接接触者」への接触者ということで、地元保健所の監督下の「自発的自宅隔離」という措置の対象になった。

ただ、こうした「上からの措置」だけを強調するのは、一面的であるように思う。私は、旧正月明けの2月2日に日本からハノイに戻ったが、当時のハノイの町を覆っていた一般の人々の緊迫感に、強い印象をもった。これは、街路の人通りの減少、マスク着用率の高さ、人が集まる施設への入場の際の検温や消毒など、2か月あまり後に緊急事態宣言が出された日本でも感じられるようになる緊迫感だった。ハノイでは、それが、まだベトナム国内の感染者は数人だった2月初頭から感じられたのである。

新型コロナウイルス感染患者の発生で全村隔離となった村の検問所=2020年2月13日ハノイ北方のヴィンフック省ソンロイ村で、筆者提供

「北方からの脅威」の歴史的記憶

この一般人レベルの緊迫感の源泉には、北方の大国=中国と陸上国境を接しているベトナムの、北方からの脅威に対する歴史的記憶があると思われる。10世紀の中国からの自立以降も、中国を統一した宋、元、明、清という歴代王朝、そして中華民国、中華人民共和国という近代国家も、ベトナムへの大規模な出兵を行っている。その理由は様々であるが、北方の大国からの出兵は、ベトナムの存立に関わる脅威だった。フック首相は、1月27日に行った演説で、コロナとの闘いを、「侵略者」との闘いになぞらえている。この「侵略者」という言葉は、人々に歴代の北方からの脅威を想起させるものであり、ベトナムの人々が強い緊迫感をもってコロナの脅威を受けとめる土台になったと考えられる。こうした一般人レベルの緊迫感があってはじめて、政府の果断な施策も功を奏したしとみるべきであろう。

 

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