トニー・ブリンケン元国務副長官――――バイデン陣営支える外交政策顧問
毎日新聞論説委員・及川正也
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おいかわ・まさや
1988年毎日新聞社に入社。水戸支局を経て、92年政治部。激動の日本政界を20年余り追い続けた。2005年からワシントン特派員として米政界や外交を取材。13年北米総局長。16年4月から論説委員
11月3日の米大統領選の投開票が迫る中、民主党候補のバイデン前副大統領陣営の外交政策顧問を務めるトニー・ブリンケン元国務副長官(58)が注目の的となっている。オバマ政権の8年間を通じてホワイトハウスと国務省で米国外交を主導し、とりわけ、オバマ外交を代表する「リバランス」(アジア・ピボット)政策に関わった。バイデン氏が勝利すれば、同盟重視のアジア外交が復活するとの期待がある。期駐ミャンマー米大使に指名されたトーマス・ヴァイダ前国務省南アジア・中央アジア担当次官補(54)は、インドやミャンマーなど南アジアや東南アジアを専門とする職業外交官だ。ミャンマーのイスラム教少数派「ロヒンギャ」に対する迫害事件では2017年、米政府のロヒンギャ難民視察団を率いた。11月のミャンマー総選挙の成功と民主化推進に向けた取り組みが期待されている。
■同盟重視の姿勢鮮明

バイデン陣営が掲げる外交戦略は、「自国第一主義」にひた走ったトランプ大統領の外交政策のひずみを修正することに主眼がある。中国やロシアを最大の脅威とみなす現状認識は共有するものの、長期的な対抗戦略をどう実現するかという点で、トランプ氏と異なる。つまり、同盟ネットワークを重視し、多国間・国際協調にシフトし、環境や核不拡散など地球規模の課題では中露と協力する――のが基本スタンスだ。
例えば、バイデン氏は最初の年(2021年)に「民主国家サミット」を開催すると提案している。強権的な政治手法を好むトランプ氏は中国の習近平国家主席やロシアのプーチン大統領との個人的な「友好関係」を自慢してきた。習氏を「中国史上、もっとも素晴らしい指導者」と持ち上げ、2016年大統領選でのロシアによる民主党へのサイバー攻撃について「プーチン氏は否定している」と肩を持った。
一方で、北大西洋条約機構(NATO)の同盟国が多く加盟する欧州連合(EU)を「敵」と呼び、日本や韓国にも貿易戦争を仕掛けた。米国は欧州や日韓に駐留米軍を配置し、防衛にあたっている。にもかかわらず、駐留経費や国防費に多くの予算を割かず、貿易では多額の赤字を米国に押し付けている――。同盟国に対する冷たい仕打ちの背景には、こうした意識があるのだろう。
トランプ氏は同盟ネットワークを「削減すべきコスト」とみなしているが、バイデン氏は「投資すべき資産」という戦後の米国が重視してきた理念を持ち続けている。「民主国家サミット」の創設は、従来の日米欧による主要7カ国(G7)にとどまらず、オーストラリアや韓国、インド、ニュージーランドなど民主国家をつなぐ奥行きのある枠組みへの拡大を意味する。
この政策を主導しているのが、ブリンケン氏だ。2019年1月に米紙ワシントン・ポストに掲載された寄稿に、その原型がある。「ナショナリズム、一国主義、外国人排斥が混ざり合った『アメリカ・ファースト(米国第一)』を倍加することは、問題を悪化させるだけだ」と指摘し、「東西冷戦で勝利をもたらした同盟国のコミュニティーから目をそらせば、目の前の戦いに敗北する」と述べている。
■「民主国家の連盟」構想
ただし、いまのままの同盟ネットワークには「時代遅れ」な点があるとブリンケン氏は指摘する。ユーラシア大陸をまたぐ広大な中国の経済圏構想「一帯一路」や無限のサイバー空間を利用したデジタル権威主義を目前にして、米国の同盟圏が欧州とアジアに二分されていることだと言う。民主主義国家も戦略的な問題について、「ドイツやフランスは、インドや日本と協力しなければならない」と主張する。これを実現する枠組みを「民主国家のリーグ(連盟)」とブリンケン氏は呼ぶ。NATOのような軍事安全保障を構築するというよりも、民主主義国家が直面するテロや選挙妨害、サイバー攻撃などの脅威に協力して対抗するという構想にほかならない。この提案が耳目を引いたのは、寄稿が保守派の論客であるロバート・ケーガン氏との共著だったことだ。超党派で期待される政策なのである。
トランプ氏は今夏、唐突に「G7は時代遅れだ」と言い、「G10かG11」の開催を提案した。その中に「ロシアを入れてもいい」という発言に与党・共和党からも批判が出て立ち消えになった。その場しのぎで「中国叩き」をする狙いが見え透いているが、ブリンケン氏は、米国の国際的権威の復権という大きな構想を描いている。背景には一貫して政権中枢で外交政策に携わってきた経験が作用しているようだ。
ブリンケン氏はユダヤ人の両親のもとにニューヨークで生まれ、その後、パリで暮らした。国務省のバイオグラフィーによると、フランスのバカロレアの学位を優秀な成績で取得した後、米ハーバード大学を卒業。コロンビア大学ロースクールで法学博士号を取得した。政治の道に入ったのは、1988年大統領選で民主党のマイケル・デュカキス候補の活動に参加したことがきっかけだ。
民主党のクリントン政権で国家安全保障会議(NSC)に加わり、広報や戦略を担当し、政権の最後は欧州問題担当上級部長を務めた。野党時代は上院外交委員会スタッフディレクターなどを歴任。オバマ政権が発足した2009年から4年間、バイデン副大統領の国家安全保障問題担当補佐官を務めた。政権2期目にはオバマ大統領の国家安全保障担当副補佐官になり、2015年に国務副長官に就任した。
ブリンケン氏率いるバイデン陣営の外交チームは、外交政策の立て直しは欧州からという考えが強いようだ。大統領選に勝利すれば優先的に着手する考えという。とくに、ドイツへの思い入れが強いとされる。オバマ大統領が信頼を寄せたメルケル首相は2021年に退陣する。多国間主義を訴え、トランプ氏の一国主義に頑として抵抗してきたメルケル氏と会談し、ドイツとの関係を再構築したい考えとみられる。
■アジア外交に期待も
一方、アジア重視のスタンスもオバマ政権時代と比べて見劣りすることはないだろう。ブリンケン氏が国務副長官だった2016年に米ブルッキングス研究所で講演した内容は、アジア諸国にとって心強いものだった。ホワイトハウスから国務省に異動する際、重視する問題をオバマ大統領やケリー国務長官に問うと、即座に「アジアだ」と答えたというエピソードを紹介している。
仮に民主党政権になった場合、懸念の種となるのは、険悪な日韓関係だろう。いわゆる慰安婦問題を日韓間で最終的に解決した2015年の合意について、ブリンケン氏は「勇気ある政治決断」による「歴史的合意だ」と述べている。しかし、その後、合意は韓国側が事実上破棄し、いわゆる徴用工問題でも韓国最高裁による日本側への賠償命令により、関係は滞っている。以前のような日米韓の連携は、いまはない。
動向に関心が集まるブリンケン氏だけに、各国政府も「バイデン政権」に備えてアプローチしているが、陣営側は外国政府関係者との対話を閉ざしているという。2016年大統領選前後にトランプ陣営の幹部らがロシア政府関係者と接触し、対ロシア制裁の解除に関する話し合いがあったのではないかとの疑惑が浮上した。特別検察官によって捜査が行われた、いわゆるロシアゲートである。
1799年に制定された「ローガン法」により、米国の利益に反する目的で外国人と接触することを禁じている。これに抵触するトランプ陣営の暗躍が表ざたになったことで、バイデン陣営は欧州やアジアの同盟国を含めて、在米の大使館関係者との接触を禁じているという。アフガニスタンやシリアでの軍事作戦に参加している欧州諸国は軍事動向がどうなるかを見極めたいが、それもままならないようだ。
日本政府には、米国の対中政策にどんな変化があるかはもちろん、北朝鮮問題への取り組みにも関心がある。オバマ政権時代の「戦略的忍耐」が失敗し、核実験や大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射に至った経緯があるからだ。バイデン氏は従来の日韓にオーストラリアも含めた同盟国と中国で北朝鮮に非核化の圧力をかける一方、ロシアの協力を得て北東アジアの軍備管理を強化する意向を示している。
しかし、具体的にどう進めるのか。優先順位はどの程度か。国務長官をはじめだれが担当者になるのかなど、ヒントとなる情報を得たいのはやまやまだろう。それに応じて、準備しなければならない面もある。とはいえ、仮にバイデン氏が勝利すれば、これまでの外交政策は大きく変わるはずだ。バイデン氏は外交政策で主にアジアを担当していた。その知見に期待しながら、身構えるしか方法はなさそうだ。
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