Asia Inside:「自然の同盟関係」――――日本とベトナム

「自然の同盟関係」
――――日本とベトナム

前駐ベトナム大使、梅田邦夫

■梅田邦夫(うめだ・くにお)

広島県出身。1978年外務省入省。外務省アジア大洋州局南部アジア部長、外務省国際協力局長、駐ブラジル日本国大使などを経て、2016年10月から20年3月まで駐ベトナム日本国大使。今年10月8日に設立された外国人材共生支援全国協会の副会長に就任。

菅義偉首相は10月19日に就任後初となる外遊先ベトナムでフック首相と首脳会談を行い、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けた協力などを確認した。今年3月まで駐ベトナム日本国大使を務めた梅田邦夫氏に、ベトナムの安全保障上の重要性、ベトナムの対中国政策、日本とベトナムの関係性などについて解説してもらった。 【毎日アジアビジネス研究所

ベトナムが重要な三つの要因

10月19日、ハノイで開かれた日越首脳会談=首相官邸ホームページより

10月18日から19日にかけ、菅義偉首相は首相就任後の初の外遊先としてベトナムを訪問した。この背景にはベトナムが日本にとって格段と重要になった三つの要因がある。

第1に2014年以降、中国が南沙諸島の6つの人工島造成・軍事拠点化を本格化したことから、東アジアの安全保障環境は深刻化した。同時に、中国がアセアン分断化工作を進める中、ベトナムは一貫した対中姿勢を維持しており、日本にとって地域で最も信頼できるパートナーになったことである。

第2に日本の人口減少と深刻な労働力不足問題を補う最重要国がベトナムになったことである。2015年ベトナム人技能実習生は中国人を抜いて1位となったが、2020年6月現在でベトナム人技能実習生は約22万人、中国人の2・7倍となっている。この10年間で28倍増である。

第3に現在のべトナムは成長のエネルギーに満ちており、2017年以降外国直接投資ブームをむかえていることである。ベトナムはコロナ・ウイルス第2波をいち早く克服し、プラス成長が見込まれる世界で数少ない国の一つであり、中国に依存しすぎたサプライ・チェーンの見直しという観点からも重要である。

安保環境の激変とベトナムの重要性

これらの三つの要因のうち、安全保障上の要因を見てみたい。まず、ベトナムと中国の略史を見ると、日本から見た姿とは異なる中国の姿が見えてくる。

939年にベトナムは約千年に及んだ中国の支配から独立し、ベトナム独自の王朝による統治が始まった。その後、1887年フランスの植民地となるまでの約950年の間に、ベトナムは中国から15回の侵略を受けて追い返してきた。ベトナムの歴史は中国への抵抗の歴史である。

最近の50年間をみてみると、ベトナムと中国は3回戦火を交えている。そのうち2回は南シナ海で発生した。1回目はベトナム戦争末期の1974年である。73年に米軍がベトナムから撤退した翌年、南ベトナムが占有していた西沙諸島の南半分が武力で奪われた(北半分は以前から中国が占有)。

2回目の攻撃は1979年である。鄧小平の指示をうけて約20万人の中国軍が陸の国境3カ所から侵略してきたが、1か月後に撤退した。ベトナムでは兵士3万人だけでなく民間人も10万人以上が犠牲となった。中国軍の攻撃理由は、カンボジアに進攻したベトナムに対して懲罰を与えることであった。中国の支援を得て成立したクメール・ルージュ(KR)がベトナム南部を攻撃したことから、78年にKR征伐のためにベトナム軍はカボジアに進攻した。なおKRは300万人といわれる自国民を殺害した残忍な政権であった。

3回目は1988年に南沙諸島にある6つの環礁が武力で奪われた。冷戦末期でソ連軍のプレゼンスが南シナ海からなくなった時であった。当時、ベトナムはカンボジア進駐を継続していたことから国際的に孤立し、ソ連と東欧諸国のみが友好国であった。

したたかな対中政策

上記のような歴史的背景もあって、ベトナムでは指導者のみならず、国民の間にも非常に強い「対中警戒感」が存在している。中国とは平時はできるだけ友好関係の維持に努めるも、主権侵犯行為があるときは断固として戦うと明言している。また、「本音」と「建て前」をうまく使い分けつつ、無用な摩擦は生まないように非常に「したたか」な対中国政策を展開している。例えば、5G(第5世代移動通信システム)については、明言はしないものの中国製品を使用しない。一帯一路やAIIB(アジアインフラ投資銀行)に関しては一応メンバーにはなっているものの、具体的プログラムの策定を出来るだけ回避している。

2018年春、ベトナム人の友人(中国専門家)が私に次の2つのことを語った。

「中国の盛衰は『ベトナム自身の存亡』に大きく影響する」

中国が弱体化した時にはベトナムは平穏な時期を迎えるが、中国が強国になるとベトナムに災いが及ぶ。なお、国の存亡がかかっているだけにベトナムの中国に関する情報収集・分析のレベルは非常に高い。

「どの国においても対外政策は『国内政策の延長』である」

チベット、新疆ウイグル等の少数民族対策、国内の徹底した監視など習近平支配下の中国は「全体主義国家」である。もし、中国が「覇権」を有する「国際秩序」となれば、中国の強権政治が世界に波及する。それは間違いなく「全人類の不幸の始まり」となる。いまや圧倒的な経済力、軍事力を有す
る大国中国と対峙するようなことは、出来るだけ避ける必要があるも、主権や領土を脅かす中国の行為に対して弱腰とみられれば国民の支持を失う。対中関係は、ベトナム指導者にとって最も難しいかじ取りを必要とするテーマである。

南シナ海での中国の動き

南シナ海において中国はフィリピンの2つの環礁を武力で奪っている。

1つは1992年に米軍がフィリピンから撤退した後、95年に中国はフィリピンEEZ(排他的経済水域)内のミスチーフ礁を武力で占領した。現在同礁は重要な軍事拠点となっている。次は2012年にスカボロー環礁(フィリピンEEZ内)において、中国は「力」でフィリピンの漁船や公船を追
い出して実効支配を確立した。

スカボロー環礁の事件後、南シナ海における中国の行動は一層攻撃的になった。その理由の一つとして考えられるのは、当時米国(オバマ政権)がフィリピンからの要請に対して「防衛責務」を明確にしなかったことがある。多くの関係者が東南アジア地域への米国のコミットメントは弱いと理解した。

また、2012年7月のアセアン外相会議では、史上初めて外相声明が発出できなかった。中国の代弁者カンボジアが議長国であった。アセアンは中国によって分断され、「一体性」が大きく損なわれることとなった。その後、フィリピンやシンガポール、インドネシアなど中国に対して批判的な国に対し、中国は経済便益の供与や嫌がらせなどを通じて口封じに成功し、厳しい対中姿勢を維持しているベトナムは孤立することもあった。

2014年に中国が南沙諸島(6環礁)において人工島造成と軍事拠点化を本格化し、米国を含め多くの国において一気に警戒感が高まった。同年に中国は石油掘削機(オイル・リグ)をベトナムのEEZ内に設置しようとした。海上では圧倒的な力の差があり阻止できなかったが、ベトナム国内で暴
力を伴う激しい反中抗議が発生し、最終的に中国はオイル・リグを引き上げた。

2015年にアメリカは「航行の自由作戦」を開始した。16年にハーグ仲裁裁判所は「中国の九段線の主張に法的根拠はない」との判決を出した。中国は「紙くず」と呼んで無視している。

19年3月、ポンぺオ米国務長官はマニラにおいて、「南シナ海でフィリンピンの軍、航空機、公船に対する武力攻撃があれば相互防衛義務が発動される」と約束した。米国の南シナ海へのコミットメントは本気であると多くの人が理解した。

2020年7月にポンぺオ長官は「中国の九段線は国際法上違法であり、仲裁裁判所の判決を支持する」との声明を発表した。これまで米国は他国の領有権問題に関し中立を維持してきたので、大きな方向転換である。これに前後してインドネシアとマレーシアも中国の主張が違法であることを国連に書簡で伝えた。同年7月にポンぺオ長官は、「共産主義中国と自由主義の将来」と題するスピーチで共産主義中国との対決姿勢を明確にし、民主主義国への結束を呼びかけた。また、8月には人工島造成や軍事拠点化に貢献した中国企業24社を制裁対象にした。

南シナ海の動きから浮かび上がる中国は、(1)「力の空白」が好きであり、空白があると「武力」を行使して他国の領土を奪う(2)「弱い相手」に対しては躊躇なく「力」を使うが、米国やソ連という強い国のプレゼンスがあると自重する(3)自分の都合の悪い時は、国際法や国際約束を堂々と
無視する――ということである。

タイで昨年11月開かれたアセアン首脳会議で、腕を交差させるアセアン式の握手を交わす加盟国首脳。アセアン加盟国には南シナ海で中国と領有権争いがある国々と中国寄りの国々があり、対中姿勢で温度差がある=2019年11月3日、バンコク郊外で高木香奈撮影

日越両国は「自然の同盟関係」

日本とベトナムの指導者レベルには高い信頼感、国民間には強い親近感が存在している。また、両国は多くの戦略的利益(航行の自由、法の支配、米軍のプレゼンスなど)を共有している。2017年、ベトナム歴史協会会長を長年務められた故ファン・フイ・レー先生が私に次のように語った。「現在の国際情勢の下で、個人,国家,国際システムのいずれのレベルから分析しても、日本はベトナムにとって最も重要かつ信頼できるパートナーである。日本とベトナム間には自然の同盟関係が醸成されている」

日越間にはドンズー運動や残留日本兵とその家族の存在など、最近まであまり知られていなかった歴史の事実があった。

もう一つ多くの日本人が知らない事実は、13世紀に日本は蒙古の攻撃を2回(1274年、81年)受けたが、3回目がなかったのは1288年にハイフォンの入り江でベトナムが「元」の海軍に壊滅的打撃を与えたからである。約730年前にも日本とベトナムは「共通の敵」を前に運命を共有していたのである。