荒木英仁のインクレディブル・インディア

WITH CORONAで動き出したインド

■荒木英仁(あらき・ひでひと)

毎日アジアビジネス研究所シニアフェロー、インドビジネスコンサルタント
長年、大手広告代理店「アサツー・ディ・ケイ」の海外事業に従事し、2005年から9年間、同社インド法人社長。14年春グルガオンにて「Casa Blanka Consulting」社を設立し、日本企業との提携を求めるインド企業を支援。監査法人「Udyen Jain & Associates」と業務提携し、日本企業のインド進出や現地でのコンプライアンスを支援。インド最大手私銀「ICICI Bank」のアドバイザーや、JETROの「中小企業海外展開現地支援プラットフォーム」コーディネーターも務める在印15年強のベテラン。

息を吹き返した自動車販売台数

8月日現在、インドの新型コロナの累積感染者数は340万人を超えた。そんな中でインド経済は確実にWITH CORONAで動き出している。5月の販売台数が実質ゼロであったインド経済を牽引する自動車産業はコロナ禍の中、確実に息を吹き返しつつある。インド自動車工業会発表の統計によるとインドの7月度乗用車販売台数は前年同月比96・1%まで回復し、18万台以上売れた。シェアートップのスズキ(マルチスズキ)に至っては前年同月比100%を超えたそうである。現在は段階的ロックダウン3・0が施行されており、未だ国際線の乗り入れは禁止。公共交通機関のメトロやバスは運休中であり、全ての教育機関も閉校を余儀なくされている中での復活劇である。

動き始めた日系企業

インドに1400社以上ある日系企業の駐在員達もロックダウンを機に8割以上が一時的に日本へ避難していたが、インド日本商工会議所が8月5日に特別に手配したチャーター便(通常の国際線の乗り入れは禁止されているが、チャーター便は特例として認められている)で168人の駐在員がインドに戻ってきた(内訳はデリーNCRが6割、グジャラート2割、タミルナド1・5割、その他0・5割)。業種別には自動車業界が活気を戻した事もあり約5割が輸送機器関連会社であった。今回は入国後1週間の間はホテルでの隔離を余儀なくされたが、次回からはコロナ陰性証明があれば自宅での隔離が可能になったと報告されている。残念だったのは当初238人の予約が入ったものの、その内70人が本社の最終決済が降りずにインドへ戻る事を断念せざるを得なかった事である。この中には私の友人も数名いたが、本社の役員が保守的な人が多く説得出来なかったと悔しがっていた。

28日にはチャーター便第2弾が無事デリーに到着。帯同者9人を含む162人の戦士たちが戻ってきた。インド日本商工会議所によると、通常便が飛ぶまでは月1便ペースでチャーター便を手配する予定とのことである。いよいよ日系企業も動き出した。

グルガオンにオープンした「ココ壱番屋」インド第1号店の看板

一般市民の外出控えにより、日本同様に飲食業界(除くデリバリー)やホテル業界への打撃は計り知れないが、そんな中8月3日、ついに「ココ壱番屋」のインド第1号店がインドで最も近代的なグルガオンのオフィス街であるサイバーシティにオープンした事は明るいニュースである。日本式カレーが本場インドへ進出した事は凄い事だと思う。インド在住の日本人にとっては夢の様な出来事であるが、日本のカレーがインド人相手にどこまで健闘するかは本当に楽しみである。

「デジタル・インディア」が功を奏するモディ政権がこのパンデミックを見越した訳では無いと思うが、第1期政権当時から着手してきた「デジタル・インディア」政策を始めとするインドの総デジタル化で構築されたインフラは発展途上国であるインドにおいてコロナ禍対策に大いに役立ってきている。日本では行政の対応が遅れ混乱を招いている給付金にあたるインドの援助金給付もスムーズに実施された。国民ID「アダール」(全国民の9割以上が登録済の日本のマイナンバーに相当)などのデジタル公共インフラを活用した直接現金給付がタイムリーに実施可能であった。

インド全土の貧しい農家を対象として、国民IDに紐づいた銀行口座に遅れる事無く現金給付されたと発表されている。今や世界一安い(1ギガ20円)ブロードバンドのお陰で人口の半数近い5億6000万人がオンラインに繋がっているデジタルインフラのお陰で、3月のロックダウンから休校(今も尚継続中)を余儀なくされている学校(小、中、高)の大半はスムーズにオンライン授業への移行が可能となった。

国民の約9割が手にする携帯やスマートフォーンで、マスク、飲食料や医薬品等は問題無くオンラインで手に入れる事が可能となった。FortisやMax の様な大手のプライベート病院もオンライン診察のプラットフォームを積極的に活用し医者の問診から処方箋の発行まで全てオンラインで済ませ、院内感染を防いだ。

インドの小売業の9割近くを占める地元のキラナ・ショップ(パパママストア)のサプライチェーンはコロナで遮断されてしまった。今まで長年頼りにしていたオフラインのサプライチェーンが殆ど機能しない中、デジタルサプライチェーンプラットフォームを有するスタートアップのジャンボテールやショップキラナ等の活用が一気に進んだ。

高額紙幣廃止で一気にユーザー数を伸ばしたPaytmやGoogle Pay等のオンライン・ペイントのプラットフォームの普及が銀行口座すら持たないキラナ・ショップの個人事業主達を後押しし、コロナを機にストレスなくオンラインへ移行し始めている。

当初はおびえ、家にこもる

3月25日から始まったインド全土のロックダウン当時は、正体不明の伝染病にインド国民は恐れおののき、家から一歩も出ない人が大半であったと思う。農村部から都市部へ出稼ぎで来ていた労働者は仕事が無くなった事も大きな理由ではあるが、都市部で蔓延が始まっている事に恐れ公共交通機関の無い中で我先に故郷へ急いだ人も多くいた事であろう。実際私のドライバーもロックダウンが実施されそうな気配濃厚であった3月23日の夜に突然電話をかけて来て、これから実家に帰
りますと言い放ち、私の言う事には一向に耳をかたむけず彼の田舎であるジャイプールに勝手に帰ったきり未だに戻って来ない。当時の事は良く覚えているが、彼にとってCOVID―19はまるで正体不明の悪魔の到来の様で相当怯え切っていた事は電話口でも感じ取れた。多分ロックダウン当時は大半のインド人は同様に怯え、皆じっと家に籠っていたのであろうと思う。

ロックダウン開始時、総感染者数は600人にも満たない中で、そんな感じだったインドの人達が、毎日6万人前後の新規感染者が増え続け累積感染者数が300万人を超えた中、コロナに対する人々の感覚が大幅に変わって来ている様に感じる今日この頃である。どのニュースチャンネルをひねっても日本の様にコロナ、コロナとメディアが騒ぎ立てていない事もひとつの理由ではあると思うが、ワクチンがまだ完成していないにも関わらず、街は確実に平常に戻りつつある。

庶民の間にコロナへの「慣れ」

まず一つの考えられる理由は皆が恐れ切っていたロックダウン開始から既に5カ月が経過して、庶民がコロナに慣れてきた事だと思う。依然感染者は増え続けているものの、回復率が70%程度あり、致死率に至っては2%を切っている事が安心材料になっている事も、家に籠り感染を防ぐ事より、外に出て稼ぐ事を後押ししている様に思う。

また7月末にムンバイにあるアジア最大のスラム街3カ所(約150万人が住むといわれている)で政府主導の無作為抽出による抗体検査を実施したところ、50%以上が既に感染した形跡があったという結果が発表された。一方デリーでも、政府団体のNational Center of Disease Control (国営疾病管理センター)が6月下旬から7月初旬にかけてランダムに健康な市民2万人の抗体検査を実施した結果、何と23%が既にコロナに感染済であった事が判明した。このデータをベースに考えると、デリー人口の約2000万人の内、23%が感染しているとすると、約450万人が既に感染していることになる。当時デリーの死者数は3700人だったので、致死率は0・1%以下だ。

このレベルは東南アジアのタイ等の致死率に匹敵する。コロナに関しては諸説あるものの、一定の住民が抗体を持った事で確実に新規感染者数は減少する傾向にある事は諸外国でも実証されている。勿論これだけが理由では無いものの、急速に新規感染者が増え続けたムンバイやデリーは7月に入ってから新規感染者数が減少方向で推移している。大都市部は若干沈静化が進んでいるものの、その他の都市部では依然多くの新規感染者が発生しており、結果的に総数は増え続けている。国土が広いインドで感染を抑え込むのは不可能であろう。2カ月あまりのインド全土におけるロックダウンはコロナの蔓延を防ぐ事は出来なかったものの、国民が精神的に安定する準備期間として十分過ぎる程効果はあったと考える。

インドに住む人々にとってコロナだけが死の恐怖を煽るものではない事も、衛生国家の日本の環境とは事情が著しく異なる。全国の病院の数も需要に対して供給が著しく遅れ、国民保険も無く、電気や水道のライフラインも全国を網羅しきれていないインドでは、毎年狭心症や心筋梗塞で150万人、気管支炎、肺疾患で100万人、がんで80万人、脳卒中と下痢でそれぞれ70万人の人々が亡くなっている。他にも呼吸器の感染症で50万人、空気感染する伝染病である結核は未だ45万人の命が失わられている。また交通事故でも毎年18万人が亡くなっている。月収が1万円にも満たない貧困層が億単位でいるインドの人々にとって、コロナに感染するより仕事が無くなり飢えで死ぬ恐怖の方が遥かに大きいのである。

インドで一番人気のあると言っても過言ではないボリウッド大スターのアミダ・バッチャンや政府高官までもがコロナに感染した事により、多くのインド庶民達はこう思ったと言われる「雲の上の存在である、あの偉大な大スターや政府高官まで感染するのだから、我々に感染を防ぐ余地は無い」。だから恐れずに街に出て仕事をして稼ごうと。完全に開き直っているのである。

明るく前向きなインド人

今、インド経済は歴史的な大打撃を受け、数多くの企業の存続が危ぶまれているにも関わらず、私の周りのインド人(経営陣も一般社員も)は何故か皆明るい。給料が支払われない、家賃が払えない、電気代が払えない、そんな中でも皆一様に笑いながら前向きに頑張っている。インドに15年住み続けている私でも本当の理由は分からない。単純に皆楽天的な国民なのかも知れないが、恐ろしいまでの底力を持つ国民に支えられている国家である事は間違いない。今後インドがどの様な復活劇を遂げるのか楽しみでしかない。