アジア経済分析:中国経済回復の見通しと新常態①国学院大学経済学部教授 宮下雄治
新型コロナウイルスの集団感染が最初に確認された中国は、官民一体の強力な感染拡大防止策が功を奏し、世界でもいち早く経済活動を再開した。かつての日常を取り戻しつつあるかのようにみえる中国でだが、実体経済は力強さを欠き、消費回復はおぼつかない状況にある。経済指標だけでは分からない経済や消費の実態を把握するため、7月上旬に中国在住の中国人にアンケート調査を実施した国学院大学経済学部の宮下雄治教授に3回シリーズで、労働と消費の実態を通して、中国経済回復の見通しとコロナ後の「ニューノーマル」の姿を考察してもらった。【毎日アジアビジネス研究所】

中国経済回復の見通しと新常態①――労働と消費に関する実態調査

官民一体による強力な感染防止措置

春節の大型連休を目前に控えた2020年1月23日、中国政府は新型コロナウイルスの集団感染が最初に確認された湖北省武漢市に対して、都市封鎖という前代未聞の措置に踏み切った。

封鎖された1000万都市の武漢では、市民と社会全体の活動が即座に制限された。そして、全国から4万人ともいわれる医療従事者が動員されるなか、1週間あまりで臨時医療施設が建設されるなど強力な医療・防疫体制が敷かれた。武漢の都市封鎖から間もなく、中国各省・市は最大級の緊急対応を次々と発動し、中国全土で感染拡大阻止に向けた非常態勢に入った。各地方政府が独自の厳しい防疫措置を行う一方で、中国の巨大IT企業やハイテク企業は政府に協力しながら自社が有するビッグデータやプラットフォーム、AI技術などを活用して感染に関する各種情報の収集・分析を行い、感染防止に大きく貢献した。官民一体の強力な取り組みによって中国は新規感染の早期抑え込みに成功し、全国の新規感染者数は2月上旬をピークに減少に転じた。武漢では都市封鎖から約2カ月後の3月18日に新規感染者数がゼロになり、翌月8日に2カ月半に及ぶ封鎖が解除された。

世界に先駆けて経済活動を再開した中国の経済回復の程度とその課題や原動力を知ることは、経済再開に遅れをとる日本や世界各国にとって重要な教訓を得られるであろう。直近のGDPは2四半期ぶりにプラスに転じるなど、かつての日常を取り戻しつつあるかのようにみえる中国であるが、実体経済は力強さを欠き、消費回復はおぼつかない状況にある。経済指標の数字だけでは分からない経済や消費の実態を把握すべく、筆者は7月上旬に中国在住の中国人にアンケート調査を行った。本稿では、調査結果をもとに中国経済・社会の実態と新常態(ニューノーマル)を3回にわたりレポートする。第一弾となる本稿では、経済と社会の安定の鍵を握る「雇用」について調査データから考察する。

統計にみるコロナ禍の中国経済

この間の中国経済に目を向けると、全国規模の強力な感染対策の代価として、1~3月期のGDP実質成長率はマイナス6・8%と大きく落ち込んだ。これは、4半期ベースで比較可能な1992年以降で初のマイナス成長となった。同期間の工業生産をみると、前年同期比8・4%減、固定資産投資は同16・1%減(うち民間投資は同18・8%減)、小売売上高(社会消費品小売総額)は同19・0%減(4月18日付毎日新聞朝刊)となり、生産、投資、消費の指標はいずれも大幅な悪化に転じた。

4~6月期GDPは、2四半期ぶりにプラス(3・2%)に転じたが、感染拡大前の水準には及んでいない。経済回復の鍵を握る雇用は依然として厳しい状況が続いている。所得も減少しており、小売業の売上高は回復が遅れているのが鮮明にみてとれる。今年5月下旬に開催された全国人民代表大会(全人代)において、李克強首相が最も強調したのが雇用対策であった。経済成長の数値目標に注目が集まった演説において、李首相は「雇用は人民生活の中で最も重要な問題であり、中国は雇用の安定に一層力を入れていく」(5月28日新華社)と述べた。景気の急速な回復が難しいなか具体的な数値目標の明言は避け、失業対策をはじめとした雇用の安定を最優先課題に位置付けた。中国の公式発表による失業率は4月が6・0%、5月が5・9%、6月が5・7%(中国国家統計局)と比較的低水準でとどまり低下傾向にあるが、実態はもっと悪いのではないかという見方もされている。あるいは、失業には至らないが、いつ解雇されるか分からない不安定な労働条件で働いている潜在的な失業者の急増が指摘されている。以降では、中国の失業に関する実態調査を通して、中国経済の現状と見通しを考察する。

独自調査による中国の失業率

本調査は中国で最も普及しているSNS、微信(WeChat)の利用者を対象に、中国在住の中国人(学生を除く)で20代から40代の男女、合計2659人にWEBアンケート調査を行った。調査は20年7月3日と4日に実施した。

なお、本文中、分析結果を述べるにあたっては、比率の差の検定(カイ二乗検定)において有意差が認められた箇所について主に言及している。

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図表1

図表1=は、コロナ禍の影響で職を失ったか否かを尋ねた結果である。新型コロナウイルスが発生してからの半年間で、全体の14・5%が失業したという結果が出た。単純な比較は難しいが、偶然にも米国が4月に記録した戦後最悪の失業率(14・7%)と同水準であった。さらに、休業を含めた「失業しそうだ」という回答が失業率とほぼ同じ(13・5%)であり、潜在的な失業者が大勢いる実態がわかった。「失業しそうだ」を合わせると失業率は約3割に上り、コロナ禍における中国の厳しい雇用実態が浮き彫りになった。

性別での差はほぼみられず、男性の失業率(15・0%)が女性(14・6%)を少し上回り、「失業しそうだ」の回答は女性(14・6%)が男性(12・6%)を少し上回った。男女平等の理念のもと共働きを前提とした中国社会においては、日本や諸外国と異なり、今回の経済不況のしわ寄せが女性に特に及んでいるという状況でないことが推測できる。

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図表2

図表2=は、年代別に失業者の割合をみたものである。「失業した」「失業しそうだ」の回答が若年層ほど高く、20代の雇用が最も不安定な傾向がみられた。その背景を被験者の雇用形態から推測すると、20代は他の世代よりも非正規社員比率(4・2%)、アルバイト・パート比率(15・7%)がともに高いことが影響しているものと考えられる。これとは反対に、40代は失業していない比率が高く、雇用の安定がみられた。これは、20、30代に比べて公務員比率が高く、民間企業の正社員比率が低かったことに起因するものと思われる。

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図表3

図表3=は、都市区分別に失業者の割合をみたものである。中国における300を超える都市は、その経済規模や商業的魅力の程度から分類されている。一級都市は、北京、上海、広州、深圳の大都市が該当する。2013年より新一級都市という区分が追加され、一級の大都市に迫る勢いで成長を遂げる省都レベルの都市がこれに位置付けられた。武漢はこの区分に入り、本調査では武漢の被害状況を把握するために、新一級都市から武漢を独立させて分析を行った。調査の結果、一級から四級都市まで統計的な差はみられず、1割強の失業率がみられた。

これに対し、農村部ではその2倍の失業率(26・7%)であった。農村部の失業者と潜在的な失業者の割合は45・5%とおよそ2人に1人が雇用面で深刻な影響を受けていた。大都市で働いていた多くの出稼ぎ労働者が解雇されて地元に戻り、失業状態が続いている様子がうかがえる。中国が公開する失業率はこのような出稼ぎ労働者は統計に含まれていない。本調査で農村部の失業者もすべて含めると、コロナ禍の影響で職を失った中国人の延べ人数は全就業者数(7億7586万人)の14・5%、約1億1250万人と推測できる。

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図表4

図表4=は、業種別に失業者の割合をみたものである。飲食業が最も高く(28・5%)、「失業しそうだ」を含めると約5割に上った。中国の小売売上総額は7%以上のマイナスが続いており、なかでも飲食業は前年同月比で30%以上も下回っている。本調査結果からも、飲食店に客足が戻っていない状況がわかる。次に失業率が高い業種は不動産業(20・8%)であった。本年1月から4月までの不動産販売(床面積ベース)では、前年同期比19・3%(中国国家統計局)となり、本調査の結果からも中国の不動産市況の低迷が鮮明となった。不動産業と同程度の高い失業率を示したのが宿泊業(19・4%)であった。観光客数の急激な落ち込みを背景に、飲食業とともに厳しい現状が浮き彫りになった。中国におけるサービス業はGDPの半分を占めており、これらのサービス業が景気回復を鈍化させている主たる要因であることがわかる。一方で失業率が低いのは医療・福祉であり、約9割の雇用が守られている状況であった。これに続くのが、政府による景気対策の恩恵がおよぶ製造業と建設業、そして成長産業のIT・インターネット産業となった。

小康社会実現への影響

以上の調査結果より、中国における新型コロナウイルスの影響は、雇用面に深い爪痕を残したことが確認できた。本調査で確認された実態から、中国において職を失い社会的孤立や経済的困窮の状態にある人の存在は看過できない状況にあると推測でき、中国経済成長の牽引役であった個人消費がコロナ危機前の状態に戻るには相応の時間を要すると思われる。

中国は今年2020年を「小康社会」を実現する年と位置付け、絶対貧困人口ゼロ化を目指してきた。雇用の安定は人々の生活に直結したものである。そして、小康社会の実現、さらには中国経済の行方を左右する要でもある。本調査の結果から、とりわけ農村部の雇用が深刻な状況にあることが確認でき、小康社会の実現に大きな打撃を与えることは避けられないだろう。中国政府は失業者の生活と再就職への支援に向けて、さらには現就業者を失業者に転じさせないためのあらゆる手立てを講じていくことが求められる。

感染の第2波への懸念も広がる中、景気の見通しや人々の生活基盤の安定が確保できない今日において、政府は過去に例のないほどの難しい舵取りを迫られている。大規模な経済危機のあとには、常に生活者の行動や価値観は変化がみられた。今回のコロナ禍による経済的混乱は、中国人の日常や消費の基本的な考え方にどのような影響を与えているのか、以降のレポートで詳述する。

7.20)■宮下雄治

国学院大学経済学部教授
専門は消費分析、マーケティング、中国経済。博士(経済学)。2017年から中国の国立中山大学(広東省広州市)の訪問教授として、中国の消費市場と流通業界を研究。国内では流通・サービス業を中心に、マーケティングや中国ビジネスに関する企業研修や講演を行う。東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退。