シリーズ 米国のアジア人脈22

ミンゾーウー「ミャンマー平和安全研究所」事務局長

和平プロセスのエキスパート

毎日新聞論説委員・及川正也

新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)を受けて、ミャンマーでの和平プロセスが停滞している。アウンサンスーチー国家顧問兼外相は自ら主導してきた和平会議「21世紀パンロン会議」を今春に開催する意向を示していたが、年内実現すら危うい状況だ。この間にも国内の武力紛争は拡大している。ミャンマーの平和プロセスの調査・研究している「ミャンマー平和安全研究所」(Myanmar Institute for Peace and Security、MIPS)は7月に年次平和安全概観2020を発表する。それを主導しているのが、ミンゾーウー(Min Zaw Oo)事務局長だ。

■コロナ禍で停滞する和平交渉

年次概観の詳細な内容は7月7日に予定されているウェビナーで発表されるが、主なポイントが緊急リリースとしてメールで送られてきたので、紹介しておきたい。

年次概観は、2019年初頭から2020年初頭までのミャンマー国内での主な紛争をまとめている。MIPSの調査が特徴的なのは、地域状況の変化について、300項目以上にわたる変数を訓練されたプログラマーが追跡する独自のモニタリングシステムにある。この変数のうち、75の指標が紛争に関するものだ。さらに、紛争に関わる武装した人々によるソーシャルメディアの使用を監視し、その目的と影響を分析している。

詳細はウェビナーを待たなければならないが、ここでは紛争の特徴についてみてみよう。リリースによれば、MIPSは、昨年中に起きた2つの大きな紛争に着目している。1つは、西部ラカイン州とチン州では、仏教徒の少数民族ラカイン族の武装勢力「アラカン軍」(Arakan Army)とミャンマー国軍(Tatmadaw)との戦闘だ。概観の骨子によれば、アラカン軍はラカイン州の文民政府の解体を進める一方、国軍は陸上と海上での優位をなんとか保っているという。

国連によると、アラカン軍と国軍との戦闘でこれまでに15万人以上の民間人が巻き添えになっている。アラカン軍はラカイン族の自治権を求める武装組織で、ラカイン州から少数派イスラム教徒ロヒンギャの多くが国外に脱出した2017年以降に勢力を拡大。国軍は「テロ組織」に指定している。戦闘はいまも続いており、5月下旬にもラカイン州の警察署をアラカン軍が襲撃し、警察官4人が死亡した。アラカン軍はミャンマー政府と国軍にラカイン州から出ていくよう求めている。4月には新型コロナウイルスの検体を運搬中の世界保健機関(WHO)の車両が攻撃される事件が起きた。だれの仕業かはわかっていない。

もう一つは、昨年8月に始まった北東部での戦闘だ。アラカン軍が北東部の反政府勢力タアン族解放軍とミャンマー民族民主同盟軍とともに、ミャンマーと中国南部を結ぶ輸送ルートで大規模な攻撃を仕掛けた。道路は2週間にわたり寸断されたが、国軍が押し返して優位に立ち、散発的な戦闘は今年初めまで続いた。こうした事態を踏まえ、今年1月には政府との全国停戦合意文書(NCA)に署名した少数民族武装勢力(10勢力)が、和平プロセスの最高レベル会議「共同調整会議(JICM)」を開催した。アウンサンスーチー氏は18年以降開かれていない「21世紀パンロン会議」再開を呼び掛けたが、パンデミックで和平交渉は中断されている。

一方、概観では、比較的に安定した地域情勢も報告される予定だ。たとえば、北部カチン州では、2018年に停戦合意に達した国軍とカチン独立軍は多少の小競り合いはあるものの、「直接交渉にエンゲージし、難民の帰還でも協力している」という。ミンゾーウー氏はリリースで、「今回のレビューを2018年、2019年のデータと比較することで、今後の和平プロセスの進展を見通すことができる。民間人への被害、戦闘員死傷者の推定もデータによって明らかにできる」とコメントしている。

■米国で学んだ紛争解決の手法

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ミンゾーウーMIPS事務局長=MIPSのホームページより

ミンゾーウー氏は、21年の亡命生活を経て2012年にミャンマーに帰還した政治活動家である。帰還後はミャンマーで始まった和平プロセスに当初から関わってきた。現在は、世界銀行やアジア財団など多くの国際機関・団体の支援を受けるMIPSのトップとしてミャンマー政府の「和平委員会」の顧問も務めるミン氏だが、この原点は米国にある。

ミン氏は、米南部バージニア州にある州立ジョージメイソン大学で紛争分析・解決、首都ワシントンにある名門ジョージタウン大学で安全保障研究の修士号をそれぞれ取得し、さらにジョージメイソン大学で紛争分析・解決の博士号を取得した。

米国で関わった仕事では、1994年にクリントン政権(民主党)のゴア副大統領の指示で創設された「ポリティカル・インスタビリティー・タスクフォース」(Political Instability Task Force、PITF)に参画したことが特筆される。

PITFは米政府がスポンサーとなっている研究プロジェクトだ。いわゆる「失敗国家」や「破綻国家」を対象とする国内外における紛争分析とデータベース化を担っている。統治機構の有用性や国際貿易の関与度、国内の人口動態などを分析し、国家がどういう場合に不安定になるかの様々な研究をしている。

1955年以降の革命や民族紛争、政権転覆、ジェノサイドや偏向政治などの項目について基準を設けて程度を分類し、データベース化している。「100の問題事例」の研究からスタートし、これまでに80事例の民族紛争や115事例の政権転覆、41事例のジェノサイドなどを研究してきた。紛争解決はミン氏の専門分野であり、こうしたデータ分析の手法は、MIPSでのデータ重視の分析手法に通じるところがあるとみられる。PITFはいまも活動を続けており、2017年1月のトランプ米政権発足時には、トランプ氏の大統領就任に抗議して辞任するメンバーが出たことで話題になった。辞任したポモナ・カレッジのコリン・ベック准教授は「2017年に世界で最も政治的不安定(political instability)の源となるのは米国政府の政権であろう」と辞任理由を説明している。

ミン氏の紛争問題に関する情報分析は、世界有数の情報機関でも重用された。米国防総省の特殊作戦軍の対テロ担当者らに回覧される「カウンターネットワーク・アンド・ナラティブ・ウィークリー」に分析記事を寄稿していたこともある。ミン氏はワシントン郊外の都市ベセスダにあるシンクタンク「デモクラシー・インスティテュート」でアフガニスタンの政情分析や選挙推進プロジェクトにも参加している。

ミャンマーに帰還後、当時のテインセイン大統領が2012年に創設した「平和構築委員会」(ミャンマー・ピースセンター)の停戦交渉・実行担当ディレクターに就任した。国際機関の支援も受けた平和構築委員会は、ミャンマー政府と国内の少数民族武装勢力との和平実現を目的とした組織だった。

テインセイン政権は2015年に少数民族武装勢力8組織と初めて全国停戦合意文書(NCA)に署名した。これに尽力したのがミン氏である。和平プロセスへの貢献から後に大統領表彰を授与された。NCAはその後も拡大し、2016年に発足したアウンサンスーチー氏率いる国家民主同盟(NLD)政権は2018年に2組織と新たに停戦合意を結び、NCA署名組織はいまの10になった。

現在は、ミャンマー平和安全研究所(MIPS)のエグゼクティブディレクターとして和平の対話と安全の保証を支援するために引き続き和平プロセスの分析と実行を主導している。しかし、冒頭の通り、停戦合意は2年前を最後に大きな進展はない。ミン氏は今回の概観の公表を前に政府と武装勢力の双方にこう呼びかけた。「政府は、和平プロセスを効果的に実施するために和平のアーキテクチャーを修正し、より多くの技術的リソースを提供する必要がある。それと同時に、民族武装グループは、和平プロセスへの悪影響を低減するために派閥間の闘争を解決する方法を見つける必要がある」。

 

おいかわ・まさや

1988年毎日新聞社に入社。水戸支局を経て、92年政治部。激動の日本政界を20年余り追い続けた。2005年からワシントン特派員として米政界や外交を取材。13年北米総局長。16年4月から論説委員