大邱の教訓:ソウル・渋江千春

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5月1~2日に、韓国南部の大邱市を訪ねた。街は以前のにぎわいを取り戻していたが、約2カ月前には、この都市が韓国における新型コロナウイルス対策の「主戦場」だった。

いまや新型ウイルスの封じ込め政策が評価を受ける韓国だが、最初からうまく行っていたわけではない。2015年の中東呼吸器症候群(MERS)で死者38人を出した反省から、検査体制などは準備が進んでいた。ところが2月下旬から、大邱で新興宗教を中心とした集団感染が想定を超えるスピードで拡散した。病床確保が追いつかず、一時期は2000人を超える入院待機者が出た。医療現場か
らの声を取り入れる形で、3月2日に導入されたのが無症状・軽症者向け施設「生活治療センター」だ。約3000人の患者を受け入れたことで、病院は重症患者の治療に専念でき、医療崩壊をすんでのところで食い止めた。

最初の患者発生から2週間足らずで導入にこぎつけられた理由が知りたくて、取材を重ねた。一つの契機は、2月27日だった。自宅で待機中の70代男性が、緊急搬送されたものの死亡したのだ。腎臓移植を受けていた高齢患者で、本来であれば病院で治療を受けなければいけない患者だった。

「胸が痛んだ」。権泳臻(クォンヨンジン)・大邱市長を始めとして、皆が声を揃えた。同じような患者を出してはいけないという、医療現場と大邱市の危機感と熱意が、政府を動かした。「我々が『洛東江(ナクドンガン)の防御線』という認識で、一致団結していた」。対応にあたった大邱市医師会の李聖亀(イソング)会長は当時の状況を、朝鮮戦争当時、北朝鮮軍の進撃を食い止めた防御線に例えた。

5月上旬には、1日の新規感染者数が5人以下で推移した大邱市だが、反省を生かし、再流行時に2000病床、生活治療センター3000室を使えるように体制を整えたという。日本でも、緊急事態宣言が解除された後に再び感染拡大が始まる可能性がある。クルーズ船を巡る対応、検査体制などについて改善点はないのか。医療現場の声は生かされているのか。反省点を洗い出し、政策に生かしてほしいと思う。(2020年6月 ソウル支局