魯迅と新型肺炎 北京・河津啓介

河津啓介 本社員

北京魯迅博物館のホームページに、中国の文豪、魯迅の著作や書簡の内容を検索できる機能がある。世間で魯迅の「名言」とされている言葉を入力してみると、「該当なし」と表示されることが少なくない。本当は言っていない、偽の「名言」を見抜けると評判だ。

「医学では、中国人を救えない」という言葉も「該当なし」の一つ。だが、完全なねつ造とは言い切れない。魯迅は初期の短編集「吶喊(とっかん)」の序文で、医師を志していた日本留学時代、救国の思いから「医学は決して重要ではない」と見切りをつけ、中国人の「精神を改造する」ため、文学の道を選んだ経緯を記しているからだ。

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魯迅の「名言」の真偽が判別できると評判の北京魯迅博物館の検索ページ=2020年3月1日、河津啓介撮影

この言葉が、新型肺炎が猛威を振るう中国のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)上で、頻繁に引用されている。

それは、ある医師の死がきっかけだった。

武漢市中心医院の眼科医、李文亮さん(33)は昨年末、市政府が「原因不明の肺炎」の発生を公表する前に、医師仲間のグループチャットで「コロナウイルスによる肺炎」への注意を呼びかけた。だが、公安当局は「デマを流して社会秩序を乱した」として李さんを摘発。その後、李さん自身が診察中に新型肺炎に感染し、2月7日未明に亡くなった。

当局が医師の良心の声を封じ、感染拡大を招いた形となり、多くの人が「医学では、中国人は救えない」との言葉に、深い失望と憤りを込めた。

SNS上では、別の魯迅の言葉もよく見かける。「沈黙の中で爆発しなければ、沈黙の中で滅亡するだけだ」。魯迅が1926年、当時の軍閥政府による弾圧で死亡した女子学生への追悼文に記した一節だ。

世論の批判は、後手に回った新型肺炎対策だけでなく、理不尽な「沈黙」を強いる政治体制そのものに向けられている。

100年近く前、魯迅が当時の政治や社会に向けた激しい批判精神が、現代の人々の心に響く。そのことが、共産党体制の現在地を物語っているように思った。(2020年3月 中国総局)