台湾総統府、民主主義を象徴 台北・福岡静哉

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総統府は、昔も今も台北のランドマークだ=台北市で2019年4月9日、福
岡静哉撮影

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台湾の総統が執務をする総統府は今年、1919年3月の落成から100年を迎えた。昔も今も台北を代表するランドマークだ。総統府1階では12月末まで、100年の歴史を写真などで振り返る記念展が開かれている。

総統府は戦前、日本政府の台湾統治を担う「総督府」だった。設計者の1人が総督府技師の森山松之助(1869~1949)。日本近代建築の祖とされる辰野金吾の弟子だ。森山は他にも台湾で多くの建築物を手がけ、台北賓館(旧台湾総督官邸)や旧台中州庁など一部が現存している。

3月23日にあった記念展の開幕式には、森山の孫、森山治さん(58)=横浜市=が招かれた。治さんは大学3年の時、台湾に旅行に来て総統府も訪れたが、当時は国民党による独裁下、戒厳令が敷かれていた時代。総統府の外観を撮影するだけでも拘束される恐れがあった。「大学生の時は遠くから見るだけでした。今回、館内も見て回ることができて感無量です」と治さん。式典で「祖父が存命で現代の街並みを見ることができれば、自身を最も幸せな建築家の1人だと感じたことでしょう。孫の私にとっても非常に光栄なことです」と述べた。

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100年の歴史を振り返る記念展の開幕式で、陳建仁副総統(左から2人目)
から記念品を贈られる森山治さん(左端)。右から2人目は李学忠さん=の総統府で19年3月23日、福岡撮影

総統府は45年5月の米軍による大空襲で一部が損壊した。47年に始まった修復で責任者を務めた李重耀の四男、李学忠さん(58)も開幕式に招かれた。重耀は43年に総督府の技師となった。敗戦で日本人は台湾から去り、中国大陸から来た国民党が総督府を接収した。学忠さんは「当時は物資が不足し、修復にはとても苦労したと父から聞かされて育った」と振り返る。重耀は99~2000年の大規模改修も指揮し、13年に88歳で世を去った。学忠さんが運営する建築事務所が跡を継ぎ、父子2代にわたり総統府の維持補修に当たる。学忠さんは「総統府の補修を担えて本当に幸せです。これからも引き続き総統府の発展をお手伝いしたい」と語った。

国民党による1党独裁が続いた時代、総統府は権威主義体制の象徴だった。民主化を経て、96年から総統は選挙で選ばれるようになった。平日には1階の一部が観光客を含む市民に公開されている。総統府は今では、台湾の民主主義を象徴する存在となった。(台北支局 2019年5月)

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総統府の1階の一部は平日、一般公開され、かつて総統が使った机も展示され
ている=総統府で19年3月28日、福岡撮影