動き出した平和条約交渉 モスクワ・大前仁

モスクワ大前

近年のロシアでは「ルースキーミール」(ロシアの世界)と呼ばれる政治概念が盛んに取り上げられている。前身のソ連が1991年に解体し、ロシア以外の国に多くのロシア系住民が残された。彼らがロシアに抱く感情をテコにして、ロシアの影響圏の拡大を唱える議論だ。顕著な例が2014年3月に実現したクリミア(ウクライナ南部)の編入だった。

では本題の日露平和条約交渉へ。筆者は2月末、クリミアに住む「ルースキーミール」の信奉者に尋ねられた。

「そもそもクリル諸島(北方領土)にはどれぐらいの日本人が残っているんだ?」

「日本人は一人も住んでいない」と答える。

すると男性は困惑しながら反撃してきた。

「なぜ一人もいないのに返してもらいたいのか? アメリカが基地を置きたいからだろう!」

後者は明らかな間違いである。日ソ共同宣言に「引き渡し」の義務が明記されている歯舞群島と色丹島は狭すぎる。例え日本に返されても、米国が基地を作る可能性は非常に小さいとみられている。

一方で前者の質問は興味深かった。

「モラルのために返還を求めている。日本は戦後70年にわたり返還を訴え続けてきた。これは内政問題である。クリミアの人ならば分かるだろう」

ここまで論じると、彼は妙に納得した。

「なるほど、その議論ならば理解できる」

18世紀末にロシア領に組み込まれたクリミア。しかしソ連時代の行政的な手続きと、予想もしなかったソ連の崩壊を受け、独立国となったウクライナ領に組み込まれた。だが現地住民も多くのロシア国民もこれに納得せず、「内政問題」としてクリミアの返還を訴え続けたのだ。

さらに男性に対し、欧米諸国との関係を悪化させているロシアが、日本との「潜在的な」関係拡大に関心を抱き始めている点を説いてみせた。

「仮定の話に過ぎないが、ロシアと日本が関係を拡大できれば、その時は島の引き渡しの可能性はゼロではなくなるのだ」

「なるほど」と再び男性。

当然ながら「あくまでも」の話に過ぎないのだが。(モスクワ支局 2019年4月)

20190310特派員の目写真
クリミア南部のヤルタにあるリバディア宮殿。米国、ソ連、英国は第二次大戦末期の1945年2月、ヤルタ会談を開催。ソ連が戦後に北方領土を所有することで同意を取り付けた=クリミア南部ヤルタで2019年3月1日、大前仁撮影