20年前に戻される日露の時計の針 モスクワ・大前仁

 

モスクワ大前現在の日露関係は20年前に時計の針を戻しているかのようだ。1998年4月、当時の橋本政権は北方領土の北端、択捉島とロシア領の南端ウルップ島の間に国境線を引く一方で、当面の間、ロシアの統治を認める「川奈提案」を投げかけた。しかし11月、モスクワを訪れた小渕恵三首相に対し、エリツィン大統領は独自案を伝えてきた。今の日露関係は、まさにこの時の提案を軸に動いている模様だ。

日露外交当局は、北方領土で共同経済活動を立ち上げる狙いで、対象事業や法的な枠組みを話し合っている。これは98年にロシアが出した提案の柱の一つだ。当時の日本政府も共同経済活動の話し合いに応じたが、肝となる法的な枠組みについて折り合えず、決裂に終わった。その後もロシアは折りにつけて、共同経済活動を提案してきた。2016年に入り、安倍政権はこの提案に乗る決意を固めた。ロシアが投げてきたボールを受け止め、暗礁に乗り上げた対露交渉を進めようと狙い、今に至る。

98年提案の二つ目の柱は、まず日露間で善隣条約を結んでから、国境画定交渉に臨むアプローチだ。日本では「中間条約」や「領土棚上げ論」と呼ばれ、強い警戒感を抱かれている。
プーチン大統領は9月、安倍晋三首相に対し「前提条件を抜きにした年内の平和条約締結」を提案した。この発言は日本国内を揺るがし、ロシア国内でも大統領の真意を測りかねている側面がある。その中で、98年に駐日大使を務めていたアレクサンドル・パノフ氏は、プーチン氏が当時提案された善隣条約を意識しながら発言したのではないかと分析している。ロシア側の関係者によると、当時の日露外交当局が善隣条約について協議しており、素案が残されているともいうが、日本政府が善隣条約の誘いに乗る気配は見えてこない。

エリツィン氏が提案してから20 年の月日がたとうとしている。ロシアはソ連崩壊後の混乱を乗り越え、国力を回復している。他方で日本が向き合う北東アジアでの安全保障環境はますます厳しくなっている。じわりじわりと、日露関係が20年前に出された提案の方向へ流れていく。そのような印象を拭いきれない。(モスクワ支局 2018年11月)