インドネシア大地震 体験を語り継ぐ大切さ ジャカルタ・武内彩

 

ジャカルタ武内

インドネシア・スラウェシ島中部で9月28日、マグニチュード7・5の大地震と津波が発生した。少なくとも2000人以上の死亡が確認され、行方不明者は5000人にのぼるとも言われる。中スラウェシ州の州都パル市の被害は甚大で、街は壊滅的な状態だ。液状化による被害も大きく、行方不明者の捜索活動もままならない状況となった。

地震が起きたのは、モスクで礼拝が行われていた午後6時2分(日本時間午後7時2分)。30分もたたずに津波が海岸沿いを襲った。インドネシア当局は地震発生直後に津波警報を出したが、直後の混乱やシステムの機能不全で住民に伝わらなかった可能性が指摘されている。津波到達までの時間が短かったことも被害を増幅させたとみられる。

津波武内
津波にのみ込まれた状況を説明する住民男性。建ち並んでいた商店や住宅は
流され、周囲は水浸しのがれきが散乱していた=インドネシア・スラウェシ島パ
ル市で2018年9月30日午後3時ごろ、武内彩撮影

市内の空港は閉鎖され、道路も土砂崩れが起き、被災地は一時、孤立した。私と助手が飛行機と車を乗り継ぎパル市に入ったのは、ジャカルタを出発して27時間後の30日午前10時ごろだ。市内に入ったとたんに風景ががれきと砂ぼこりで茶色く一変した。海岸から数十メートルの場所では、一部の土台を残して建物が根こそぎなくなっていた。倒壊したモスクの天井部分が水に浸かり、周囲では住民ががれきの中で行方が分からない家族の行方を捜していた。

発生1週間後も水や食料などの支援物資は届かず、行政が関わる避難所も数えるほど。ほとんどの住民は自宅前や山道脇などにビニールシートを張ってしのいでいた。電気や水より先に携帯電話の電波が復旧したことが印象的だった。

インドネシアは地震が多く、中スラウェシ州も過去に津波を経験している。ところが「地震後に津波が来るとは思わなかった」「津波という言葉も知らなかった」と話す住民が少なからずいた。以前、国連開発計画(UNDP)がインドネシアなどで取り組む津波の啓発活動を取材したが、今回、情報を届けて経験を語り継ぐ難しさを目の当たりにした。私の故郷、和歌山県有田郡には、1854年の津波を後世に伝える「稲むらの火」という物語が残る。どれほどのハイテク機器をしても自然災害に完璧に備えるのは不可能だからこそ、地道に伝え続けることが防災の基本になると実感した。(ジャカルタ支局 2018年11月)

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鉄骨製の柱が折れ、流れ着いた車などが散乱する海岸沿い=インドネシア・
スラウェシ島パル市で2018年10月1日午前11時20分、武内撮影

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