破壊を免れた日本統治時代の神社 台北・福岡静哉

 

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台湾北部・桃園市にある「桃園忠烈祠」は戦前の日本統治時代、「桃園神社」と呼ばれた。日本国外で唯一︑日本式神社が当時のままの姿で保存されている場所と言われている。

台湾では日本統治時代(1895~1945年)、皇民化政策の一環で各地に多くの神社が建設された。1930年代に建設された神社が多く、桃園神社も年、今の場所に建てられた。だが戦後の年、中国共産党との内戦に敗れた蒋介石率いる国民党が台湾に来ると、かつての敵である日本に関連する施設の多くは破壊された。だが桃園神社は戦死者らをまつる「忠烈祠」に名を改められ、使われ続けた。

72年、日本は中国と国交を結び、台湾と断交した。これに反発した蒋介石政権は、日本統治を象徴する建築物や遺跡などを撤去する方針を決定。当時まで残っていた日本の神社もほとんどが壊された。だが桃園神社は地域住民らの反対などもあって破壊を免れたという。80年代には老朽化に伴い再建話も持ち上がったが、この際も文化人や住民らが反対運動を展開し︑修復されて現在に至っている。年には史跡に指定された。

鳥居をくぐり参道をまっすぐ歩くと、参拝前に手 を洗い口をすすぎ清めるょう水舍ずやがある。拝殿、本殿、社務所も修復を経てほぼ当時のまま。石灯篭や狛犬、青銅製の神馬像なども残り、日本の神社建築の粋を感じることができる。しばらく神社の敷地内にいると、まるで日本にいるかのような錯覚を覚える。

5月日、桃園神社を設計した春田直信氏の息子、春田直明さん()が現地を訪れ、建物の維持・補修費として万円を寄付した。贈呈式に同席した鄭文燦・桃園市長は「今後も歴史を重んじ、多元な文化を尊重する精神を持ち続け、この史跡の歴史的価値を発信していく」と強調した。

直明さんは神社が完成した3歳の時、建築に携わった関係者と記念撮影したという。終戦で歳の時、日本に戻った「湾生」だ。その後、名古屋市で建設会社を経営した。「地元の方々が苦労して情熱をもって修復に携わってくださり、感謝の思いでいっぱいです。今もこんなに立派に昔の面影をそのまま残して保存されており、本当にうれしい」と感激した様子だった。(台北支局 2018年7月)

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