悲劇に見舞われた先住民エリート 台北・福岡静哉

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「♪カエルさん カエルさん なぜ泣くの 喉が腫れたら大変ぞ カエルさんのお医者さんはどこにいる」。5月5日、台北市のイベントスペースに唱歌のような日本語の歌声が朗々と響き渡り、観客らが聴き入った。歌声の主は台湾先住民ツォウ族の高英傑さん(こう・えいけつ、78歳)。作曲したのは英傑さんの父、高一生(こう・いっせい、1908~54)。イベントは台湾在住作家の片倉佳史さん(49)が企画した。

高一生は日本統治時代(1895~1945)、阿里山のふもとにあるツォウ族の集落で生まれた。ツォウ族の名はウオグ・ヤタウユガナ、日本名は「矢多一生」(やた・かずお)。幼少時から成績優秀で、南部・台南の師範学校を卒業した。先住民としては異例のことだ。ツォウ族は美声で知られ、高も音楽の才能に恵まれた。師範学校では音楽も専門的に学び、卒業後は古里の小学校で教べんをとった。子供たちに教えたのは自ら作曲した日本語の曲。巡査の仕事もこなす村の中心的存在だった。

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妻と記念撮影する高一生(高英傑さん提供)

当時、日本政府の台湾統治を担った総督府には、先住民統治を強化するため「理蕃課」が設置された。高のような優秀な先住民の青年は、統治政策の成功モデルとして宣伝された。理番課が発行した月刊誌「理番の友」の1935年11月号には、エリートの先住民青年を集めた懇談会の詳報が掲載され、高はそこでこう述べている。「この憐れむべき同胞を引き起こし、祖先伝来の困苦欠乏に堪える精神をもって裕福な村、平和な村、国語の村の建設に努めたい」。「国語の村」とは、日本語を常用する村の意味だ。高は先住民統治政策の申し子と言える存在だった。

しかし日本の敗戦で高の人生は暗転する。戦後、台湾を統治した蒋介石率いる国民党は、「反乱罪」などの名目で無実の市民や知識人らを次々と拘束、処刑する恐怖政治を敷いた。ツォウ族のリーダーだった高もスパイ罪をでっち上げられ、処刑された。46歳の若さだった。

高の作曲した日本語の歌は今も台湾各地で歌い継がれており、5日のイベントでも英傑さんが父譲りの美声で次々と披露した。英傑さんは言う。「父のような人物がいたということを、日本人は決して忘れないでほしい」(台北支局 2019年6月)

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父の作曲した歌を披露する高英傑さん=台北市で2019年5月5
日、福岡静哉撮影