英二大政党制の行方 ロンドン・服部正法

外信部デスク 服部正法

「二大政党制」の本家本元といえば英国だろう。議院内閣制での政権交代可能な2党ということになると19世紀半ばが起点だが、その源流と言える「トーリー対ホイッグ」の2党派の争いは、17世紀の清教徒革命直後にさかのぼる。

だが、2党の組み合わせが同じだったわけではない。トーリー党は現在の与党・保守党の前身だが、ホイッグ党(後に自由党)はその後衰退。1920~30年代に新興の労働党に2党の一角を取って代わられた。なぜ自由党は衰退したのか。

最大要因は党内分裂だったが、時代背景も不利に働いた。自由党は、地主層などを支持基盤としてきた保守党に対し、都市の商工業者に支持を広げたリベラル勢力だったが、労働組合が強くなり社会主義が広がると、労働党が労働者階級を中心に支持を急速に広げた。加えて、保守党がリベラル側にウィングを伸ばしていたこともあった。

19世紀に首相に就いた保守党のディズレーリは、公衆衛生の推進や労働者らの住宅改善など、自由党のお株を奪うリベラル政策を断行、改革的保守主義とも言える「トーリー・デモクラシー」で新時代の保守党像を形成し、党勢を拡大した。自由党は保守・労働両党の挟撃にも遭ったと言える。

一方、今日の英国では欧州連合(EU)からの離脱を巡る混乱が、二大政党制を揺らしている。保守党内は、ソフトな離脱を求める派と離脱強硬派との対立が深刻化し、メイ首相は方向性を定められないまま。その結果、同党の支持率は急降下し、労働党だけでなく新興政党「ブレグジット(離脱)党」の後塵も拝する世論調査結果も出る始末で、ブレグジット党のファラージ党首は「自由党が消えたようなことが保守党にも起こり得る時だ」と鼻息が荒い。

サッチャー、メージャー両保守党政権で外相を務めたダグラス・ハード卿は、数年前に著したディズレーリ伝(共著)で「彼は議会で勇気ある決断をし、並外れた議論を恐れなかった」などと、ディズレーリの優れた資質としての「勇気」に繰り返し言及。「もし彼が生きていたら、今日の政治家の勇気のなさに絶望するだろう」と書いた。ディズレーリが生きていたら、今の事態をどう収拾しただろう。(欧州総局 2019年6月)