ミャンマーで病気になったり、事故に遭ったらどう対処すればよいか。幼い子供に輸血を伴う緊急医療の必要性が生じた場合など、一大事である。この国に出張、駐在する者なら、ミャンマーの医療の実情にはだれもが懸念を抱くはずだ。

次号(5月)で在ミャンマー日本大使館の猪瀬祟徳・前医務官のロングインタビューをお届けする。実例をもとに個々具体的なアドバイスが満載だが、その前に、ミャンマーへの医療支援に長年かかわってきた「認定 NPO日本・ミャンマー医療人育成支援協会(MJCP)」理事長の岡田茂・岡山大学名誉教授の寄稿論文を紹介したい。救急医療の全体像について網羅的に記述してあり、日本の今後の医療支援だけでなく、未開拓分野が広がる「医療ビジネス」参入へのヒントが得られるかもしれない。(春日)

ミャンマー救急医療の現況 停滞から発展へ

岡田茂(岡山大学名誉教授)

  

ミャンマーを訪れる日本人の危惧の一つが「病気になった時はどうしたらよいですか」、「交通事故に遭ったら、救急車はありますか」、「予防注射は必要ですか」など、ミャンマーの医療状況である。私も何度も質問されてきた。

ミャンマーは2011年3月、軍政から民政への移管を大きな混乱もなく成し遂げた。軍出身ではあるがテインセイン初代大統領の功績は大きい。私は第1次軍政(ネウイン政権)末期の1987年に初めてビルマ(ミャンマー)の地を踏み、第2次軍政のあいだも引き続きミャンマー保健省(現スポーツ・保健省)医学研究局との国際共同研究に従事してきた。定年退職(2005年)後はミャンマー医療人育成の NPO 立ち上げを通じてミャンマー医療とかかわっている。

ミャンマーの医療基盤の近代化の動きは始まったばかりだ。日本の医療を知っている人がミャンマーの現状を想像することはとても困難である。日本の医療をミャンマーでやってみたいという相談もよく受けるが、答えに窮することが多い。

ミャンマー医療の現状

 

医療スタッフを育成する医療系の学校は大学を含めて保健・スポーツ省の管轄下にある。医科大学は7 年制で、ヤンゴン第一、第二、マンダレー、マグウェー、タウンジー(2015 年開校)の 5 校ある。医学部には高校2年次に受ける全国共通大学入学資格試験(matriculation test)の成績優秀者が入学するが、年間1200~1500人の卒業生の中には医師以外の職業を選ぶ者も多い。

歯科大学、看護大学、薬科大学、医療技術大学(検査技師、放射線技師、理学療法士、作業療法士など)は 4年制で、いずれもヤンゴン、マンダレーに 1 校ずつある。

その他の医療作業者は、医療助手、医療訪問助手、(准)助産師に分けられているが、これらの医療作業者は半年から2年の教育で国家資格を取得できる。国家試験はなく、各大学の卒業試験合格をもって有資格者となる。私立の医科系学校は今のところ存在しない。

ミャンマーの医師数は2015年時点で3万1500人で、このうち政府機関には1万3100人がおり、残りは民間の医療機関で働いている。歯科医は3200人に過ぎず、うち政府機関では782人にとどまる。看護師は2万9500人(うち政府機関1万8500人、大学卒は5800人)で、医師数より少ない。

人口当たりの医師数、看護師などの数は、近隣国と比較しても少ない。2016年11月現在、医師は100

0人当たり1.33人で、WHO が推奨する2.3人を大きく下回る。さらにヤンゴンやマンダレーなどの都市部に集中している。

国立の医療施設は大きさにより6段階に分けられる。一番上は、大都市圏(行政区である首都ネピドーを含めて)の救急集中治療室を備える総合病院や特定機能病院で、3次医療を担い、ベッド数約1000~1500床。

20以上の専門科を持っているか、あるいは腎臓移植とか開胸心臓手術の可能な病院も含めて、全国に36カ所ある。

次が州、管区、行政区の病院でベッド数は100~300床程度だ。全国に81カ所ある。ここまでの病院は一般に総合病院と呼ばれる。

次の県、郡区病院は全部で330カ所にあり、規模によりベッド数も25、50、100床となっている。検査室、歯科、内科、外科、産婦人科、小児科がある。

これ以下の医療施設は日本で言えば保健所に相当し、医師は通常常駐しない。地域保健センター(Rural HealthCentre,1739カ所)とサブセンター(9083カ所)である。

(以上は「ミャンマー医療基盤の概況(Ministry of Health and Sports)」および2016年のヤンゴン看護大学長 Myat Thandar 氏からの聞き取り)

2013年までの救急医療

 

2008年5月、サイクロン「ナルギス」に伴う高潮がミャンマー南部の広範なイラワジ川三角地帯(大部分は標高5メートル以下の地域)を襲い、約14万人の犠牲者がでた。この年は「ミャンマーのボランティア元年」として記憶されることになるが、この時点ではまだミャンマーには救急医療という概念は存在しなかった。

当時、交通事故などによる緊急の患者を扱う部署はヤンゴン管区ではヤンゴン総合病院のみだった。各科(内科、外科、脳外科、整形外科など)が回り持ちで当番医を務め、救急医は存在しなかった。

地方の県・区病院(Township Hospital)の救急外来も当番医制度であり、当番医と研修医が対応していた。救急に必要な医療機器の備えはなく、とても救急医療とは言えない内容だった。

また、交通事故に遭っても警察の現場確認がなければ病院には搬送できない仕組みで、多くの重傷者が病院に運ばれないまま死亡した。搬送が許されても救急車はないので、負傷者自身が搬送手段を工面する必要があった。

2010年当時、ミャンマー全体では罹病の1位は交通事故で、死因としては2位だった。

交通事故現場では「人命救助が第一である」との認識から警察の立ち合いがなくても、近くの病院で救命措置が可能となったのは2013年からだ。

岡山大学医学部はそれまでの共同研究の経緯から、年次の「ミャンマー医学研究大会」で2004年から現在に至るまで毎年数題の特別講演、シンポジウムを担当している。救急医学を取り上げたのは2011年の氏家良人教授の「Emergency and Critical Medicine」が初めてだった。しかし、ミャンマーには救急医療の専門家がいなかったためか、反応はもう一つ、という記憶が残っている。

当時、日本ではすでに多くの公共の場所に配置されていた AED も目にすることはなかったので、2012年1月、看護大学で使用法の講習会を催した。国会にも設置されていないという話を聞き、保健相を通じて AED

1台の寄付を申し出たというエピソードもある。その翌年に寄付した1台はヤンゴン総合病院で初めてのものとなった。

2013年、医療の国際展開を模索していた経済産業省の MEJ(Medical Excellence Japan)は事業の一つとして「ミャンマーにおける救急医療サービス整備実証調査コンソーシアム」を採択し、筆者はその調査メンバーとして参加した。この年は偶然にもミャンマー救急医療が近代化への道を歩み始めた時と一致した。この時点では、公立病院より有力民間病院の救急に対する取り組みの方が進んでいた。民間病院では外国(タイ、シンガポール) などへの救急搬送などのシステムを持つものも存在した。

救急医療への目覚め

 

ミャンマーに救急医療の必要性が強く打ち出された出来事は2013年12月に開催された東南アジア版オ リンピック「東南アジア競技大会」、通称シーゲームである。これは1959年、第1回がタイで開催され、以後ほぼ2年毎に開かれている。ミャンマーは1969年に開催国となったが、その後は鎖国状態が続いたため、

今回52年ぶりに開催された。開催にあたり交通事故を含めた事故対策が緊急課題の一つとして取り上げられ、ミャンマー政府も真剣に立ち上げを急いだ。2010年から準備を始めたという。

なお、大阪府済生会千里病院千里救急救命センターは JICA(日本国際協力機構)主催の救急災害医療セミナーの実施病院として、2012年9月にミャンマー救急医療関係者に対して1か月の研修を行っている。

救急専門医育成の開始

 

シーゲームに対応して、ミャンマーで最も早く救急医療に関する教育を手掛けたのは、オーストラリアの医療団体だった。それらは救急医学会、外科学会、国際医療技術研修協会で、ミャンマーの保健省と契約を交わし、

2012年7月から18か月間、ヤンゴン第一医科大学で Diploma コースを開始した。

1期生には整形外科、麻酔科、小児科、一般外科、婦人科、脳外科、内科などの医師18人が参加した。2期生は8人だった。ミャンマー側の責任者はヤンゴン医科大学整形外科のゾゥウェイソゥ(Zaw Wai Soe)教授(現在ヤンゴン第一医科大学長)である。

香港で胸部外科の教育を受け帰国したミャンマー人医師、長期滞在のオーストラリア人医師、および3か月~6か月交代で滞在するオーストラリア人医師がコーディネーターとなり、オーストラリアの病院で教育を担当している医師、看護師などが短期滞在教師を務め、外傷コースや中毒診療などをカリキュラムに従って教育した。

救急医療には3つの時相と場がある。第1は救急現場、患者搬送時の病院前救急医療(災害医療も含め)、第

2が病院の救急外来における救急医療である。そして、救急外来の後の救急集中治療室(Emergency ICU)治療が第3となる。

この Diploma コースはまず、救急外来における救急医療から始まったと解釈される。コース終了後、救急専門医として残ったのは1期生10人(現在マンダレー総合病院3人、ネピドー総合病院1人、ヤンゴン総合病院に6人が配属)、2014年の2期生4人(現在ヤンゴン総合病院の救急部に所属)であり、これらの医師たちが次世代の救急医を指導することになる。

このようなオーストラリアの動きを私たちが知ったのは2013年1月の訪問時だった。まだ、病院前救急医療は手付かずであり、Zaw Wai Soe 教授は救急搬送体制が未整備なことを嘆き、シーゲームまでに救急車が70 台必要であると話していた。

6月の時点では、60台の救急車(10台はフルスペック、50台はベッド装備のみの簡易なもの。トヨタ製) は調達されたものの乗務員の教育は間に合わず、看護師、赤十字などのボランティア、ドライバーなど300人に3日間の Primary Trauma Care コースを急ごしらえで受講させ、12月までにさらに900人に同様のコースを修了させた。研修は救急医 diploma コース参加の医師などが行った。シーゲーム後はボランティアが解散したため、これらの救急車は使われないまま放置されていた。

救急医学講座の誕生

 

2013年12月のシーゲームは無事終了したが、まだまだミャンマーの救急医療体制は未完のままであった。特にミャンマーのように救急搬送システムがない場合、重篤な患者は病院にたどり着くまでに死亡してしまうこ とが多い。

このため、病院に来ている患者はほとんどが1次(帰宅可能)、2次(一般病棟で治療)の患者であり、このような状況では既存の各診療科の対応で済まされる。本当の意味での3次救急(救命を目的とした救急集中治療室治療)は整備されていないので、術後管理のための集中治療室まで搬送されたとしても、集中治療室担当の麻酔科医では対応できない重篤な患者も多い。救急集中治療室対応の教育はこれまでの Diploma コースには含まれていなかった。

このような状況の下で、ミャンマー政府はヤンゴン第一医科大学学長となったZaw Wai Soe 教授を中心に2

014年春、ミャンマー初の救急医学講座を学内で発足させた。遅れている救急集中治療に関して、私たちはミャンマー政府の要請を受け、ヤンゴン第一医科大の救急医2人を招聘し、岡山大学救急学教室で3次救急の研修を3か月間行った。

翌年1月にはヤンゴン第一医科大学は救急医学マスターコースを開設し、第1期生は26人が入学した。その後は順調に発展し、2期生25人、3期生19人の60人が入学した。18年1月には第1期生卒業し、第4期生19人が新たに入学した。

救急医療の充実を目指す

JICA 支援による「ミャンマー医学教育強化プロジェクト(2015年開始)」においても救急医療が重点的に取り上げられ、4人の救急医が岡山大学において3か月間の3次救急の研修を2016年、2017年に受講した。彼らはいずれもヤンゴン第一医科大学におけるマスターコースの講師陣に入っている。

前述の MEJ に関しては、2014年12月、2016年1月の2回にわたってのミャンマー官民ミッション

(いずれもヤンゴン・パークロイヤルホテルで開催)で、私も助言者の一人として救急医療を取り上げて頂いた。

印象的だったのは、ミャンマー救急医療の先駆者Zaw Wai Soe 教授が「日本に行ってみて下さい。救急車を呼べばすぐに事故現場にやって来る。ピーポーピーポーと超特急で行き交っている。ミャンマーでもあの音が聞こえる日が早く来てほしい。ミャンマーも日本のような救急体制をつくりたい」と語ったことだった。

救急医療は病院前救急医療(日本では消防署に配置されている救命救急士がその役割を担っている)、病院の救急外来における救急医療、そして救命のための救急集中治療室治療が整って初めて完成されたものになる。

Zaw Wai Soe 教授は致命的な交通事故が頻発するヤンゴンからマンダレーの高速道路に10マイル(16km)毎に救急車を配置する夢を述べてくれたことがある。しかし、残念ながらその夢はいまだにかなえられていない。

現在、首都ネピドーから北と南のそれぞれ100マイル(160km)の地点に地区病院(township hospital) と併設の形で救急車が配置された。しかし、その乗務員はわずか1週間の講習を受けただけという。真の救命救急士には程遠いが、彼らは使命に誇りを持っていた。また、救命救急治療室のはしりといえる施設が現在ヤンゴン総合病院、ネピドー1000床病院、マンダレー総合病院に作られている。これらの施設では日本で研修を受けた医師が治療にあたっている。救急医療の初期段階ではあるが、ミャンマー医療に救急医学が受け入れられたことを示している。今後の発展を期待したい。

 

ネピドー南100マイルのタウンシップ病院に配置されたフル装備救急車2台と救急隊員(左から3人目は筆者)

無題