毎日新聞紙面用岡村社長インタビュー世界的な日本食ブームの中、すしネタとなる生サーモンの需要が伸びている。青森市の水産加工会社「オカムラ食品工業」はベトナムに次いで、日系の水産加工業としては初めてミャンマーにサーモン加工工場を建設。来年早々にも操業を開始する。日本の地方を拠点に、世界を相手にサーモンビジネスを展開する同社の岡村恒一社長(57)に聞いた。【毎日アジアビジネス研究所 西尾英之】

 ――海外進出のきっかけは何だったのですか?

青森で魚卵の加工をしていますが、20年ほど前、製品に異物が混入したことがありました。日本の水産加工業における従業員の高齢化は当時から言われていて、我が社の平均年齢は50歳を超えていた。視力の問題で異物を除去しきれなくなったのです。日本では若年層を採用することが難しく、海外に進出して、若い人を雇う必要があった。進出は人件費などのコスト面ではなく、品質を維持するために必要になったのです。

――それでベトナムへ?

最初は中国でした。商社にお願いして中国で合弁を組む会社を紹介してもらい、半年ほどやってみましたが、どうも相手が信頼できない。相手とは常に宴会ばかりで、食事でごまかされて本質的な話し合いができない。これはどうだろうと考えていた時に、ベトナムを紹介されたのです。

紹介された現地の企業のオーナーがすばらしい人だった。普通、合弁相手は大企業と組みたがるが、このオーナーは中小企業と一緒にやりたいという。大企業は1、2年すれば担当者が代わっていくが、中小企業は余程のことがなければ担当者は代わらない。大企業よりも中小企業と組んで、一緒に事業を伸ばしていきたい、と。中小企業の持つ強みと弱みを理解し、しっかりとしたビジョンを持って私たちと共通言語でビジネスを語ることができる人でした。工場自体はまだまだでしたが、我々が技術供与して、二人三脚でスタートした。このオーナーと出会わなかったら、今の我が社の海外展開はなかったでしょう。

――そしてサーモンに乗り出した。

最初は魚卵の加工からスタートしましたが、ちょうど日本で回転すし店がものすごい勢いで伸びて、サーモンが売れ始めた時期です。04年にデンマークのサーモン養殖会社を買収。ベトナム工場で衛生管理や顧客意識などをレベルアップしながら、生食用加工と焼き魚のラインを作りました。すしネタと焼き魚は今に続く当社の柱に成長し、売り上げは現在、当時の6倍に達するほどになりました。07年には、パートナー企業とベトナムで、日本食レストランチェーン「TOKYO DELI」も始めました。

――ミャンマー進出を決めた理由は?

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ミャンマー・ティラワ工業団地に建設されたサーモン加工工場=オカムラトレーディング社提供

最初は特にミャンマーと決めていたわけではありません。顧客の大手外食企業から、ベトナム1国では供給にリスクがある、と言われ、ベトナム以外にも工場が必要だと考えました。

ミャンマーのティラワ工業団地を見た時、ここならばできるなと思いました。生鮮食品の加工には冷蔵倉庫が必要ですが、こういった設備は中小企業の私たちは自前では建てられません。日本の官民が支援するティラワには、水、電気、港という、必要なインフラがすべてそろっていました。また、日系が運営する工業団地内のワンストップセンターで、政府との手続きや交渉が可能なことも魅力でした。

私の皮膚感覚ですが、ミャンマー人はまじめですね。タクシーに乗って忘れ物をしても、自分の元に戻ってきました。アジアの他の国よりも日本人に近い感じがします。水産加工は縫製業と同じような、細かい手作業です。ミャンマー人は「モノづくり」に適していると感じます。ただ、中間管理職はこれから教育していかなければなりませんね。

――海外進出の一方で、地元青森で産学官連携でサーモン養殖も手がけていますね。

日本海沿いの深浦町と津軽海峡沿いの今別町で海面養殖を始めました。サーモン養殖はノルウェーやチリが中心です。日本の養殖事業は規模が小さくコストがかかるため、ハイエンドでしか売れません。規模を大きくしてコストを下げ、年間10万トンの日本のサーモン市場を海外勢から奪還したい。

長くサーモン加工に携わって、海外で原料を購入するのに苦労してきました。生産者に顧客意識が足りない。海外の生産者は、「もう少し色を赤くしてほしい」とかの、こちらの要望を聞いてくれません。昔の米国製の自動車のようなものです。細かなニーズに対応する、かゆいところに手が届くようなサーモンを作りたいのです。

深浦と今別で始めたのは、地元の人たちに熱意があるからです。行政、地域社会、漁協が一致団結してくれないと、できる事業ではない。来年から年500~600トンを出荷し、一部はシンガポールやマレーシアにも輸出する計画です。

――世界を相手にしながら青森に拠点を置き続けるのは、郷土への思いからですか?

いや、青森は生まれ故郷ですが、「ふるさとへの思い」だけではビジネスは成り立ちません。青森で目立った企業でいた方が、ビジネス環境がよいからです。金利や為替の優遇幅でもよい扱いが受けられる。誤解を恐れずに言えば、青森の企業であれば地元で「大事にされる」からです。

――しかし青森での人手不足は深刻ではありませんか?

現在、青森の工場ではベトナムからの技能実習生を15人くらい雇っています。今後、深浦町や今別町に工場を造るとしても、残念ながら従業員となる人は少ない。海外から呼ぶしかないですね。

 

おかむら・こういち 1961年生まれ。大学卒業後、87年に父が経営するオカムラ食品工業入社、97年社長。年間200日は出張で国内外を飛び回る日々。2017年9月に「オカムラ・トレーディング・ミャンマー」社を設立。ティラワ工業団地ゾーンBに建設した工場は建物面積6567平方㍍、年間生産能力1822トン。