及川正也

及川 正也

毎日新聞論説副委員長

ミャンマー西部ラカイン州の少数派イスラム教徒「ロヒンギャ」の武装集団に対するミャンマー治安部隊の掃討作戦開始から8月25日で1年になる。この掃討を機に大量のロヒンギャ難民が隣国バングラデシュに逃れ、その数は70万人に達する。以前からの難民も約30万人おり、合わせるとロヒンギャ全体にあたる100万人近くに上る。ロヒンギャ難民が世界の問題となる中、ミャンマーとの関係正常化を推進した米国はどう対応してきたのか。オバマ前政権からトランプ政権への変遷を通して、キーパーソンの目からシリーズで検証する。

 

◆一枚岩ではなかったオバマ政権のミャンマー政策◆

米国は、ミャンマーの民主活動家を軍事政権が弾圧しているとして、レーガン政権時代の1988年からミャンマーへの経済制裁を開始した。クリントン政権時代にはミャンマーへの投資禁止令、ブッシュ政権時代にはミャンマーからの輸入禁止令を敷くなど制裁を強化してきた歴史がある。それを転換させたのが、オバマ政権だった。2011年にテインセイン政権が発足したのを機に関係改善に動き出し、15年の総選挙でアウンサンスーチー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が勝利し、民主化が進んだことから、16年10月に完全な制裁解除に踏み切った。

ミャンマーとの関係改善は、「敵との対話」を政策スローガンとしたオバマ政権にとって、その後に続くイラン核合意やキューバとの国交回復と並ぶ外交的成果とされた。オバマ政権のミャンマー政策は、欧州や中東に偏重していた米国の外交政策を軌道修正し、アジアに軸足を置く「リバランス」(再均衡)政策をベースに精力的に取り組んだ外交の一つだ。リバランス政策の立案者の一人で、ヒラリー・クリントン国務長官の下で東アジア・太平洋担当の国務次官補を務めたカート・キャンベル氏が自著「THE PIVOT アメリカのアジア・シフト」の中で、クリントン外交の成果の筆頭にミャンマーとの国交正常化を挙げている。

しかし、オバマ政権がきちんと隊列を組んでミャンマーとの関係正常化を推し進めてきたわけではない。国務省内には、軍事政権の権力が根を張る中で急速に進む経済制裁解除の動きを警戒する動きもあった。時計を、約2年前に戻してみたい。国家顧問兼外相となっていたアウンサンスーチー氏が米国を訪問し、オバマ大統領と会談した2016年9月のことだ。約1か月後にはオバマ政権が対ミャンマーの経済制裁を完全に解除する方針を内々に固めていた。だが、スーチー氏を歓迎するワシントン・ジョージタウンのフォーシーズンズホテルでのレセプションではこんな風景があった。

スーチー氏が近寄って話しかけたのは、米国務省で民主化・人権・労働を担当するトム・マリノウスキー国務次官補だ。関係正常化の交渉にも加わったマリノウスキー氏はミャンマー側に「宗教により分断を図ろうという動きはとても危険だ」と軍部をけん制したことがある。ミャンマーとの関係改善に突き進むオバマ政権内にあっては、慎重派だった。制裁解除によって軍部が恩恵を授かることを警戒していた。実は当時、スーチー氏も制裁解除がミャンマー経済で主要なプレーヤーでもある将軍たちに多くの利益をもたらすことへの懸念も抱いていた。

今年3月の米政治メディア・ポリティコマガジンの特集によれば、オバマ政権内での意見対立を知るスーチー氏はマリノウスキー氏に正面切って「何が起きているのか、何が真実なのかを教えてほしい」と迫り、マリノウスキー氏は「(制裁解除1か月前の)この段階に及んで私が言うべきことは何もありません」と答えたという。その会話に割って入ったのが、駐ミャンマー米大使のスコット・マルシエル氏だった。制裁解除派のマルシエル大使はマリノウスキー氏が制裁の一部を継続させたい意向をスーチー氏に伝えたのではないかと疑念を持ち、大統領の決定はもはや覆せない、と念押ししたという。

歓迎パーティーには多くの財界人がいた。経済制裁解除によってミャンマーへの投資や貿易が活発化することを期待していたが、皮肉なことに、経済制裁の解除の前後から、ミャンマー治安部隊はロヒンギャ掃討作戦を強めていく。「制裁の解除が進めば、将軍たちはより大胆に人権侵害が行うようになるだろう」と警告したのは、国際NPOヒューマンライツファーストのジェニファー・クイグリー氏だ。オバマ政権が残したミャンマー政策の「遺産」は、トランプ政権が発足して7か月後、事態は深刻化し、多くの難民が帰還できぬまま現在に至っている。

 

◆ミャンマーへの関心が薄いトランプ政権◆

東南アジア諸国連合(ASEAN)関連会合に出席するためシンガポールを訪れたポンペオ米国務長官は8月4日、ミャンマーのチョウティン国際協力相と会談した。国務省の発表では、主にロヒンギャ問題を議論したが、ポンペオ氏が会談後に配信したツイッターで強調したのは、ミャンマー当局にスパイ容疑で拘束された通信社ロイターの現地記者2人の解放要求だった。記者2人は「彼らの仕事」に従事していただけで「直ちに解放されるべきだ」とツイートした。トランプ政権はロヒンギャ問題ではミャンマー側を批判するだけで、具体的な解決策や仲介策を示していない。

直後の9日には、国際刑事裁判所(ICC)の検察官が申し出ているロヒンギャ問題の調査協力に対し、ミャンマー国家顧問省が拒否する声明を発表した。ミャンマーはICCの設立根拠となっているローマ規程を批准しておらず、「ICCはミャンマーに対する調査権限を持たない」というのが理由だ。ミャンマーはバングラデシュとの協議で帰還を進めるほか、ロヒンギャ問題の調査独立委員会を受け入れる意向を表明している。

国際社会や国連での話題がミャンマー問題に注がれる中、トランプ大統領がどれだけの関心を示しているかは不明だ。そもそもロヒンギャ問題への反応は鈍く、のちに批判されると「民族浄化だ」と言葉を極めて非難している。しかし、これには政治的思惑があるのかもしれない。オバマ氏の遺産をつぶすためなら手を尽くすというトランプ氏が次の標的としてミャンマー問題に照準を合わせてもおかしくないからだ。

 

◆戦略的思考が問われる米国のアジア外交◆

米国にとって、ミャンマーの位置づけは、アジア全体の外交や安全保障に深くかかわってくる。ミャンマーは中国の大経済圏構想「一帯一路」のうち、中国・インドシナ半島経済回廊の要衝にある。ミャンマーが引き込む対内直接投資における中国の割合は26%で第1位だ。また、中国はミャンマーにとって最大の貿易相手国であり、貿易総額に占める中国の割合は37%を占める。軍事政権時代からもともと結びつきの強い両国だが、テインセイン政権になって中国一辺倒の見直しが行われたことが、対中シフトを強めるオバマ政権との歩調が合った一因でもあった。

しかし、ロヒンギャ問題を契機に欧米からの批判が高まるにつれ、軍部内ではかつて良好だった中国との関係強化を再び強める動きがあるという。東南アジアでは人権や民主主義といった政治的価値観よりも開発によって経済を活性化させる政権運営が散見されるようになった。欧米諸国はその背景に中国の積極投資があるとみている。カンボジアやタイはその例だろう。欧米ではそうした潮流の広がりを警戒している。

一方、行き過ぎた投資への懸念も浮上している。ロヒンギャ問題で揺れるラカイン州で中国支援による港湾開発プロジェクトが大規模な縮小を迫られている。ネピドー発のロイター通信によると、73億ドルだった当初計画を13億ドルまで縮小するという。スリランカやパキスタンで相次ぐ中国支援プロジェクトのトラブルを受け、将来的な負債の増大を懸念する声が出ているという。

トランプ政権は中国の将来的な経済発展を警戒し、矢継ぎ早に貿易戦争を仕掛けている。しかし、戦略的に周辺国とのバランスやバンドワゴンを駆使して中国に対抗もしくは共存していこうという方針が示されていない。日本に名を借りたといわれる「開かれたインド太平洋戦略」にしても、具体的な構想は一度も示されていない。

オバマ政権時、ミャンマーとの関係改善を進めたデレク・ミッチェル米ミャンマー担当特別代表(後の駐ミャンマー米大使)は、「過去20年のミャンマー政策は期待するような変化をもたらさなかった」ことが政策転換のきっかけだったと、上院公聴会で明かした。結果的にミャンマーへの経済制裁が中国の大規模な投資を招き、中国の「裏庭」となってしまった。地政学的に中国とインド、東アジアと南アジアの結節点にあるミャンマーは高い識字率を誇り、豊富な資源と肥沃な土地を持つ。結果として、魅力的な投資先に米国は背を背けてきたのである。

オバマ大統領の2012年のミャンマー訪問を実現に導いたヒラリー・クリントン元国務長官は回想録「困難な選択」(HARD CHOICES)でミャンマー問題を「国務長官時代の最も重要な経験」だったと振り返った。だが、その政策転換が正しい選択だったとしても、関係改善から制裁解除に至る経過の中で、今日、目の当たりにしているロヒンギャの悲劇を予期できていたかは疑わしい。

戦略的な観点からミャンマーを中国から離反させることに布石を打ったとしても、急激な転換に誘発されたミャンマー国内の政治の反動によって、それが押し戻されそうになっているのが現状だろう。この状態を放置すれば、ミャンマーの混迷は一段と深まるばかりだ。

 

おいかわ まさや 1988年毎日新聞社に入社。水戸支局を経て、92年政治部。激動の日本政界を20年余り追い続けた。2005年からワシントン特派員として米政界や外交を取材。13年北米総局長。16年4月から論説委員。