P_B1C1_0405_124201 (2)

小川 忠 (跡見学園女子大学教授、元国際交流基金ジャカルタ日本文化センター所長)

前回同様、目下進行中のインドネシア大統領選挙キャンペーンを題材にインドネシア社会の変容を語りたい。

190225小川さんカットP
大学のキャンパスで携帯電話の画面に夢中になる女子学生たち=小川写す

低調だった公開討論

現職ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領対プラボウォ・スビアント候補の公開討論会が、1月と2月の17日にジャカルタで開かれた。大統領選挙の公開討論会は、長く言論の自由、表現の自由が抑圧されてきたこの国が民主化され、今や東南アジアにおいて最もダイナミックな民主主義が鼓動していることを実感させるイベントのはずだ。4月の選挙までに、計4回の公開討論会が予定されている。

初回テーマは「法、人権、汚職、テロ」、第2回テーマは「エネルギー、インフラ、食糧、天然資源、環境」であった。大方の期待に反して、初回の論戦はあらかじめ用意してあった答弁案をなぞる程度のジャブの応酬で終わってしまい、両者とも対立候補の弱点を深くえぐろうとはしなかった。プラボウォ候補は、これまで自らのシンパであるイスラム強硬派が現政権によって摘発されていることを、「人権侵害」「反イスラム的」と批判してきた。討論会において、彼は自陣営の村長が総選挙法違反で起訴されたことを問題視し、権力による弾圧と印象付けようとしたが、大統領は「証拠があるなら法的措置を取ればいい」と受け流した。

両候補には人権問題について、それぞれ弱みがあった。ジョコ大統領は前回選挙時、公約としてそれまでタブーとされてきた、過去国家権力が人権侵害を犯したことをはっきりさせ、インドネシアの人権状況を改善する、とアピールしていた。しかし、これまでのところ、人権問題に関して目立った進展は見られず、彼の支持層である人権団体から失望の声があがっている。そして、このような過去の人権侵害を振り返ると、スハルト政権末期に軍幹部として数々の謀略に手を染め民主勢力を弾圧したとされるのが、まさにプラボウォ候補なのである。彼が現政権を「強権政治で人権侵害だ」と追及するのは、ジョークのような光景でもある。

激化するハッシュタグ合戦

つまるところ、人権問題は両者たたけばホコリがでる論点なので、強く打ちあうのは避けたというところだろう。候補者同士の初回の論戦は低調であったのに対して、両陣営のソーシャルメディア・キャンペーンが熱い。2004年に導入された国民による大統領直接選挙は回を重ねるに連れて、メディア、特に今回はソーシャルメディアの影響が強くなっている。

「テンポ」誌(12月4日付)が、両陣営のソーシャルメディア・キャンペーンの舞台裏を紹介している。これによれば、前号で紹介したプロボウォ派の「#大統領交代」ハッシュタグ拡がりに危機感を抱くジョコウィ陣営は、対立候補陣営がどのようなハッシュタグを流しているのか、常時携帯でチェックし、対策を練り、それに対抗する新たなハッシュタグを流している。「#大統領交代」ハッシュタグが流行ると、すぐに「#第一候補ジョコウィ再び」というハッシュタグ拡散で対抗した。20人のスタッフが広報対策本部に詰めてソーシャルメディアでのキャンペーン活動に携わっている。

ソーシャルメディア上での戦いに勝利する重要なポイントは、敵失を見逃さないことだという。10月にプラボウォ候補が、ちょっとした失言をした。中部ジャワの村落地域ボヨラリを訪問し貧富格差について演説した際、「ボヨラリには金を持っていそうな面構えの人がおらんなぁ。これじゃあ立派なホテルに入ろうとしたら門前払いだぞ」と軽口をたたいた。これが住民たちの怒りを招いて、プラボウォは後日謝罪したのだが、この件は、ジョコウィ陣営にとって格好の攻撃材料となった。「#ボヨラリのメンツを守れ」なるハッシュタグが登場し、瞬く間に拡散した。

ジョコウィ陣営には、選挙対策本部のソーシャルメディア対策チーム以外に、全国に8000人の「ソーシャルメディア兵士」がいて、ジョコウィ陣営のメッセージ発信を担っている。プラボウォ陣営も同様に1000人のボランティアがハッシュタグの拡散、既存メディアへのリンク貼り付け作業に従事している、とテンポ誌は報じている。

明暗を分ける副大統領候補

大統領選挙のソーシャルメディアという合戦場において、注目を集めているのは、プラボウォ側副大統領候補のサンデイアガ・ウノである。大統領選挙は正、副大統領候補のペアで戦われる。大統領候補は、支持基盤を拡げるために、自らの足らざるところを補う人物を副大統領候補に指名する傾向がある。たとえばイスラム強硬派などの反対勢力から「イスラム的でない」と批判されてきたジョコ大統領は、長老イスラム指導者マアルフ・アミンを今回の副大統領候補に選んだ。他方、軍出身で強権的、古いタイプの政治家というイメージがついてまわるプラボウォ候補は、米国留学帰りのスマートでイケ面の投資会社経営者サンデイアガを起用した。

この副大統領候補選びに関して、今のところプラボウォ陣営の方がより多くの果実を得ている。インドネシアの長者番付に載るほどの富豪のサンデイアガだが、庶民の感覚がわかる気さくなリーダーというイメージで売り出した。すらっと背の高い彼が颯爽と市場に現れ、インドネシアの国民食テンペが生活必需品値上がりでどんどん貧弱になって、「今やテンペはATMカード並みの薄さだ」とコメントすると、これが話題になりソーシャルメディアにおいて彼のテンペ・コメントが拡散される。プラボウォ陣営が票取り込みに躍起になっている、擬似中間層への効果的なアピールだ。

イスラム票固めを狙ってマアルフを起用したジョコウィ陣営だが、期待したほどにイスラム組織からの支持が集まっていない。またシニア世代のマアルフは、ソーシャルメディアへの対応力が若いサンデイアガと比べて弱く、サンデイアガのようなソーシャルメディアを意識したパンチの利いたメッセージを発信することができない。

デジタル社会化の中の大統領選挙

両陣営がソーシャルメディア選挙に力を入れる、その背景にあるのは、インドネシアの急速なデジタル情報社会化である。シンガポールの広告会社ウィ・アー・ソーシャルによれば、2018年1月現在インドネシアのインターネット利用者人口は1億3277万人(全国民人口比の50%)、活発なソーシャルメディア利用者数数は1億3000万人である。インターネット利用者のほとんどがソーシャルメディアを活用している、ということだ。インターネット利用人口は前年とほぼ変わらず横ばいであるのに対して、ソーシャルメディア利用人口は23%の伸びを示している。

そして携帯電話を通じてソーシャルメディアを利用している人口は1億2000万人である。携帯ソーシャルメディアの利用人口の前年比伸びは45%である。

つまり2017年の一年間に、インターネット利用のなかでも、携帯ソーシャルメディア利用者が急速に拡大し、日常的に携帯をいじりながら、様々な情報を得る人々が国民の半数近くにまでなったということだ。彼らの一日あたりソーシャルメディア利用時間は3時間23分で、米国2時間1分、英国1時間54分といった先進国と比べても、インドネシア国民がいかに熱心にソーシャルメディアを使っているかわかる。

こうした統計からも、2014年選挙と比べて、今回の選挙においてソーシャルメディアの影響力が増大していることがうかがえる。

当初ジョコウィが優勢と見られてきたが、ここに来てプラボウォが差を縮めているという世論調査結果もあり、浮動票をどちらが取りこむが、今後の選挙戦のカギを握る。ここで危惧されるのが、他国の選挙でもそうであるように、浮動票狙いのワンフレーズ政治は、誹謗中傷合戦に堕しがちで、今後ソーシャルメディアを舞台にこうしたネガティブ・キャンペーンが激化するのではないかという点である。前回の大統領選挙でも「ジョコウィは外国出身の共産党員」という中傷が流された。ネガティブ・キャンペーンの凄まじい政治的効果については、「反イスラム的」というレッテルを張られて再選確実ともくされていた現職知事が落選した2017年のジャカルタ知事選が記憶に新しい。

ジョコウィ政権は、選挙期間中にソーシャルメディア空間に流される誹謗中傷のたぐいを気にしており、70人のスタッフが24時間、インターネット上のフェイクニュースの流通を監視する「作戦司令本部」を、通信情報省内に昨年立ち上げた。ネット上のデマを特定し、同省のサイトにおいて「これはニセ情報」と公表している。ジョコ大統領のジレンマは、ソーシャルメディアを最大限活用した草の根選挙を展開して地方政治家から大統領の座を射止めた彼が、ソーシャルメディア上の表現空間を取り締まらなければならない立場にあることだ。公権力による過度な規制は、彼を支えてきたリベラルな市民層の離反を招く。従来リベラル派と見られてきた知識人・文化人が、現政権批判からプラボウォ支持に回るという現象も出てきており、大統領としてもさじ加減の難しいところだ。

この国がまだスハルト強権支配の時代、1992年国政選挙を見る機会があった。与党が勝つようあらかじめ仕組まれていた選挙において野党インドネシア民主党を支持する若者は「メタルな選挙」というスローガンを叫びながら街頭に繰り出していた。「メタル」とは「メラ(赤、民主党のシンボルカラー)」+「トータル」の合成で、「メタル」を連呼しながらジャカルタ中を自分たちのシンボルカラーで埋め尽くして、自由に政治を語れない鬱屈を晴らそうとしたのだ。政策をめぐる理性的・具体的論争のない、ワンフレーズ標語があふれる今回のハッシュタグ選挙キャンペーンからは、何やらあの時代に逆戻りしたかのような奇妙な感慨が湧いてくる。