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小川 忠 (跡見学園女子大学教授、元国際交流基金ジャカルタ日本文化センター所長)

 

今年4月の大統領選挙は、前回2014年選挙と同じ、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)対プラボウォ・スビアント対決の構図である。

前回選挙では旋風が吹いた。勝者ジョコウィではない。敗者プラボウォが旋風を巻き起こした。選挙戦当初には圧倒的な人気を誇っていたジョコウィを猛追し、接戦にもちこみ、内外のインドネシア政治専門家を驚かせたのである。

その要因には、よく言われるように、政党、宗教団体、組合等既存の集票マシーンが機能したことも一つだ。だがそれ以上に重要だったのは、本来ジョコウィが得意としていたはずの国民感情、国民世論を獲得する競争において、プラボウォが主導権を握ったことである。長く続いた軍の情報統制が崩壊し民主化されて約20年、インドネシアが民主社会、情報社会へと変貌を遂げるなかで、世論支持の獲得、そのためのイメージ作りは、この国の政治においてますます重要性を増しつつある。

第2代スハルト大統領政権下の軍人時代の人権侵害ゆえに、プラボウォは世論獲得競争において、クリーンな民主的市民派ジョコウィと比べてハンディが大きいはずだった。マイナス・イメージがつきまとうプラボウォが、いかにして互角の戦いを演じたか。年選挙の最大の意外性は、プラボウォがその弱点を強みに変えたことにあった。

プラボウォ候補の過去

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前回2014年の大統領選で、大勢の報道陣に囲まれて取材に応じるプラボウ ォ・スビアント候補(中央)=ジャカルタで14年5月22日、平野光芳撮影
ここで今一度、スハルト時代のエリート青年軍人プロボウォを振りかえっておきたい。軍を権力基盤としてきたスハルト大統領だが、四半世紀を超える長期政権の絶頂期、次第に軍幹部との確執が生まれつつあった。政権初期はイスラム組織に共産党狩りを使嗾しつつ、彼らが政治的に影響力をもつことを抑えてきたスハルトであるが、軍と拮抗させる政治勢力としてイスラムの活用を思い立った。大統領の肝いりで1990年には「全インドネシア・ムスリム知識人協会」が設立されている。
「ムスリム知識人協会」と一口に言っても、出世のために入会した役人・技術者から、体制内での民主化改革を目指すリベラル派まで、異なるビジョンをもつ勢力の寄り合い所帯であったが、そのなかイスラム内部の民主派つぶしという裏工作を担ったのが、プラボウ ォ陸軍特殊部隊司令官である。

ス ハルトの女婿として陸軍内で異例の昇進を遂げ注目を集め始めていた彼は、官僚・軍のイスラム化を提唱するシンクタンク「政策開発研究センター」設立を支援し、「インドネシア経済やメディアは華人・キリスト教徒によって牛耳られている」と反華人、反キリスト教感情を煽る世論工作を行った。

1997年アジア通貨危機の直撃を受け急激な自国通貨の下落、貧困層の拡大という混乱状況に陥ったインドネシアにおいて、戦略予備軍司令官に就任したプラボウォは「経済危機は仕組まれた陰謀。スハルトが憎まれるのは彼が真のイスラム教徒だからだ」と主張してまわり、民衆の怒りを権力者から別の方向に向かわせようとした。こうした状況下にあって、98年5月に首都ジャカルタで大規模な暴動が発生し、華人系住民が殺害、レイプされた。また少なからぬ民主化活動家が軍によって、拉致され行方不明になった事件にも、プラボウォが関わったとされる。スハルト政権崩壊後、プラボウォは軍法会議にかけられ、軍籍をはく奪され、3年にわたる亡命生活を余儀なくされる。

以上のような前歴を考えると、大統領選出馬という地位まで復権してきたこと自体が驚きである。

「排外主義者」の外国人参謀

これまでの反華人、反キリスト教徒言動から「排外主義者」というイメージが強いプラボウォト だが、14年選挙で彼の参謀をつとめていたのは、皮肉なことに外国人コンサルタント である。

イ ンドネシアの有力雑誌「テンポ」(14年7月4日号)は、プラボウォの選挙参謀に、ジャカルタ在住の米国人実業家ロン・ミューラーが存在することを報じた。さらに同誌記事によれば、プラボウォは米国人選挙コンサルタントのロブ・アリンとも契約を結んでいた。アリンの顧客には米国ブッシュ(子)大統領も含まれており、ブッシュのテキサス州知事選挙を扱っている。アリンはメキシコでも2000年大統領選挙で彼の請け負った野党候補が71年ぶりに大統領に選出されるなどの実績を誇り、世界を渡り歩く選挙のプロである。

14年にプラボウォ陣営が流した「ジョコウィはシンガポール生まれの中国系両親をもつキリスト教徒で、実は共産党員」という中傷は、2008年米国大統領選で流された「オバマはケニア生まれのイスラム教徒」というネガティブ・キャンペーンを彷彿させる。

こわもてプラボウォの裏には、冷徹なメディア戦略があり、そのメディア戦略は、民主主義国のチャンピオンである米国現代政治の土壌で発達したものなのだ。米国人コンサルタントを通じて、これを学び吸収したプラボウォの選挙における言動が、どこかトランプ米国大統領の物言いと似るのも、むべなるかな、という気がする。

今回選挙の前哨戦段階において登場したのが、「#GANTI PRESIDEN(#大統領交代)」のスローガンである。ツイッターのハッシュタグを通じてこの言葉が流布し、「#大統領交代」のロゴをつけたグッズが広場や市民集会で売られて、今の政治に不満を持つ市民に結束を呼びかけている。

この光景を見て思い出すのが「私の時代は良かっただろう?」というタグが流行った、14年当時のスハルト・ノスタルジー現象である。ジャカルタの中心、独立記念塔の前やタマン・ミニ公園のみやげ物売り場には、「#大統領交代」ではなく、「私の時代は良かっただろう?」と手をあげてほほ笑むスハルト第二代大統領のTシャツが並んでいた。書籍売り場では、彼の伝記など「スハルトもの」の占めるスペースが拡がっていた。

ユドヨノ政権の末期であったこの時期、外からインドネシアを眺めると、軍部強権から民主主義へと社会体制の転換が進み、急速な経済成長によって国民生活は底上げされ、新興国として国際的な地位も上がって、国民は満足しているように思われがちだったが、中にあると相変らぬ政府高官の汚職続発、急速な物価上昇、格差の拡大に対する不満が、激しい競争にさらされている中間層のあいだで鬱積していた。

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前回大統領選のプラボウォ候補の選対本部に設置されたメディア対策室。テレビをモニターしながら、スタ ッフがホームページやフェイスブック、ツイッターを24時間態勢で更新していた=14年5月12日、平野撮影

「民主改革」を「偽善」とみなす気分が中間層に拡がる中、98年の政権崩壊以来、否定されるべき対象であったスハルト大統領の時代を懐かしむ声が聞かれるようになっていたのである。これに着目し自らを「清廉な強い指導者」「スハルトの後継者」と演出することで、プラボウォはスハルト・ノスタルジーを味方につけることに成功したのだった。

「#大統領交代」「私の時代はよかっただろう?」というフレーズで思い出すのが、フレデリック・ルイス・アレンの米国現代史の名著『オンリー・イエスタディ』である。アレンは大恐慌2年後の1931年に、20年代の米国社会の変化を万華鏡のように描いた同作を発表したのだが、標題「オンリー・イエスタディ」には、現在と直接つながっている「(昨日のような)近い過去」を醒めた目で見つめ直して、今の自分と真摯に向き合おう、という著者の意図が込められていた。インドネシアの「#大統領交代」「私の時代はよかっただろう?」はその真逆で、不確かな将来とつながる現状への不満からひと昔前の時代を美化するもの、といえないだろうか。 欧米世界で排外主義が台頭する背景には、民主主義を支えてきた中間層の没落がある。これと同様にインドネシアでも、「擬似中間層」と呼ばれる、中流層下位及び下流層上位にあたる階層は、躍進する新興国という外側からのインドネシア・イメージとは裏腹に、昔ながら血縁社会、地縁社会が弱体化する中で激しい競争にさらされて、「民主化疲れ」「グローバリゼーションへの反発」という鬱屈した感情をため込んでいる。そうした感情をイスラムと結びつけ政治的に動員すると、どれほどの巨大なエネルギーになるか示したのが、2016~17年のジャカルタ特別州アホック知事の「宗教冒涜発言」への抗議デモとその後の彼の失脚をめぐる一連の事態だった。

今回の選挙においても、プラボウォ候補が「擬似中間層」の現状への不満を取りこむことに成功するなら、現職ジョコウィ大統領にとってかなり手ごわい対抗馬となるだろう。