20120111dd1dd1phj706000c 大武健一郎 (元国税庁長官、ベトナム簿記普及推進協議会理事長)

 

ベトナムから日本の大学院に留学してきた優秀な学生たちに集ってもらうと、皆、口をそろえて言う。「日本人は他の国の人たちに比べて優しい。日本語を勉強して本当によかった」

決して、日本人に対してお世辞を言っているのではなく、それが彼らの本音のようだ。皆、日本語能力試験で「N1」を取得した最高レベルにあるので、「日本語を学ぶにあたって何が大変だったか」と聞くと、「漢字を知らないベトナム人には、何より漢字を学ぶことが大変だった」と異口同音に答える。

一方、発音については「日本語の母音の数は5つ。ベトナム語に比べて少ないから簡単だ。だから、会話は意外に難しくなかった」という答えが返ってくる。

これからの日本は慢性的な労働力不足になるので、日本政府も今年から単純労働についての「就労ビザ」発給を正式に認め、いよいよ外国人労働者の受け入れが本格的に始まることになった。受け入れの際には日本語能力試験を実施することとされているが、これを正しく運用することが何より重要だと思う。前述の留学性たちのように、ベトナムの方々にとって日本語の日常会話をマスターすることは、高いハードルではない。

日本人は、日本語をマスターした外国人には極めて優しいが、日本語をしゃべれない外国人には優しくない。長年にわたり、日本語を共通語として使い、それ以外の言語とは日常的に接して来なかったので、日本語をしゃべれない外国人に対する接し方が分からないのだ。

国際化とかグローバル化が叫ばれて久しいが、「そのためにはまず英語をマスターしなければならない」という考え方が、実業界や教育界に根強い。しかし、英語をマスターしなければならないのは、欧米など英語圏へ行って働いたり、観光したりする場合だ。来日する外国人を増やそうという動きが、日本中に広がっている。将来、ますます人口が減少することを考え合わせても、日本に来る外国人に日本語の会話を修得してもらうことの方が急務だろう。

しかも、ベトナムや台湾、中国などの方々は基本的に英語を日常的に使っているわけではない。そうした国々に進出する日本企業はまず、現地の従業員への日本語教育を急いだ方がいい。フィリピンのように英語が日常的に使われていても、英語以外の母国語を使っている国もある。母国語と日本語の通訳を介して会話した方が、現地の従業員との意思疎通が進むはずだ。特に英語は「イエス・オア・ノー」を明確に言うため、日本人が日本語を話す時よりも、言葉がきつくなりがちだ。英語で難しい問題を議論するときは注意しないといけない。

ASEAN(東南アジア諸国連合)に進出した企業に労働争議が起こる場合、その理由の多くは、英語での会話そのものが原因になっている。英語で会話していることで相互理解が進まず、誤解が生じてしまうわけだ。そもそも、日本人は外国の方々に比べて労働者に優しいので、意思疎通が進めば労働争議が起きることはあまりない。

これからは何より、日本語の普及こそが日本にとって重要な局面になる。もちろん、欧米に行く時は、英語による日常会話が不可欠だが、よほどネイティブな英語を駆使できる方以外は、重要な契約や議論などをする際には通訳を付けた方がいい。英語に堪能だった宮沢喜一元首相でさえも、国際会議などでは通訳を付けておられた。なので、ベトナムに進出する企業は中堅・中小企業だけでなく、大企業でも、日本語をマスターしたベトナム人学生を通訳に採用した方がいいと思う。

ともすれば、大企業の現地法人は、海外経験豊かな方が幹部に多い。日常的に英語を使うことが多く、採用する学生も英語の堪能な人を採用しがちだが、ベトナム人にとっても英語は外国語なので、意思疎通が不十分になる危険性が高い。ベトナムの場合、事業の許認可を担当する現場の窓口となる政府関係者の中に、英語が堪能な人はほとんどいない。政府関係者との意思疎通が滞り、余計な労力や金銭を使うことになりかねない。したがって、日本語の堪能な学生を採用し、彼らを介して政府関係者とコミュニケーションすることをお勧めしたい。

ベトナムで成功している日本企業の多くには、日本語に精通した「社長の片腕」がいる。中には、ベトナム女性と結婚し、ベトナム語をある程度マスターしている日本人を片腕としている社長もいる。ベトナム語の会話は発音が難しいので、ベトナム語を少しでもしゃべれると、ベトナム人たちの目の色が変わってくる。

現地従業員に日本語教育を行い、試験で高得点を取った従業員を日本で研修させたり、本社に招いたりすると、彼らのモチベーションが上がり、仕事を一生懸命にするようになる。なかなか日本に来られないベトナム人には、大きな励みになるだろう。

10年以上前、ホーチミン市にある日系の大企業の役員会に出席させてもらったことがある。役員全員が流ちょうな日本語で議論していたので、てっきり、皆さん日本人かと思った。ところが実際、役員10人のうち日本人は3人だけで、残り7人はベトナム人だと後から聞いて驚いた。その大企業はベトナムで大成功したと聞いている。実を言うと、この体験もあって、日本語で複式簿記を教えるボランティア活動をベトナムで始めることになった。

これからの日本は労働力不足がますます深刻になっていくので、日本語の堪能なベトナム人をたくさん育て、彼らを活用することが一層重要になってくる。ベトナム人はASEAN各国の中でも特段に数学力が優れているので、簿記会計だけでなく、プログラミングやITの仕事にも高い能力を発揮する。彼らを上手に活用していくことが、特に日本のものづくり企業の人事戦略のカギを握ることは間違いない。

これから「ヒト・モノ・カネ」の中で最も不足するのは「ヒト」だ。有能な人材を育て、活用することが日本の未来に大きく影響してくる。有能なベトナムの方々に日本語教育を行い、日本とベトナムの経済発展に生かしていくべきではないだろうか。