コラム:小川忠のインドネシア目線

ウイルス危機をめぐるインドネシアの弱さと強さ

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小川忠

跡見学園女子大学教授、元国際交流基金ジャカルタ日本文化センター所長

この数か月で世界の風景が一変してしまった。物流が止まり、学校が休校となり、大規模イベントが中止され、空港や観光地から人の姿が消えた。世界同時株安で、大恐慌の再来に人々はおびえている。人・モノ・金・情報の国境を越えた移動が加速するグローバリゼーション時代の現代文明が、これほどまでに脆弱とは……

危機が現在ほど深刻なものと認識されず、中国以外の入国制限が行われていなかった2月8日から17日まで、インドネシア、インド、フィリピンの有識者にインタビューするため、三つの国を廻る機会があった。旅の途上で、日本の対外広報・説明は、平時モードから、東日本大震災・福島第一原発事故の時並みの非常時モードに切り替える必要がある、と直感した。

ジャカルタ、ニューデリー、マニラと行く先々のテレビ画面は、横浜港のクルーズ客船の姿を映し出し、船内集団感染のニュースを繰り返し報道していた。この報道の与える衝撃が大きく、「日本は世界一安全な国」という定評は急速に損なわれている、と肌身で感じたのだ。

感染症の世界的大流行や戦争、大規模災害など社会基盤が崩壊しかねないような深刻な危機において、各国政府は対外説明、情報発信を強化し、国益をかけた峻烈な外交をくり広げる。そしてそれは、それぞれの社会の耐久性を浮き彫りにする。今回は新型ウイルス危機に関するアジア各国の対応を参照しながら、インドネシア社会の弱点と強靭性について考えてみたい。

巧みなフィリピンの対外広報・説明上記インドネシア、インド、フィリピン三カ国に滞在し日本の国外から観察した視点から言うと、日本政府の対外広報・説明は、簡潔・迅速・きめ細かい情報発信という点において改善の余地がある。首相官邸、厚生労働省、外務省等関係省庁の英語ウェブサイトで、新型ウイルス関連情報をチェックすると、誤解を生まないよう正確を期そうという、ある種日本的な生真面目さゆえだろうか、首相・大臣の演説や各省の取り組みに関する説明が長々と続き、編集にメリハリが感じられない。日本のどこで、どれくらいの規模の感染が発生しているのか、という海外の市民が知りたい肝心の情報になかなか行きつけないのだ。他方海外で見るテレビ画面にはクルーズ客船の混乱状況が、「日本からの最新ニュース」として連日映し出されていた。これでは、日本全土が感染危険地域というイメージ拡散を止められない。

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横浜港に着岸したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の前に集まった報道陣ら 
=横浜市鶴見区で2020年2月6日午前9時35分、北山夏帆撮影

これと比較して、うまいと感じたのが、フィリピン保健省のサイトである。同国内の感染者数、感染者の分布とこれまでの推移が、地図と図表で示されていてわかりやすい。マニラへ出張するにあたって知りたかったのは、フィリピン全土の感染者数ではなく、マニラ首都圏でどれくらいの感染が起きているかだ。そういった情報が、フィリピン地図上に明示され、連日最新情報が更新されていた。簡潔・迅速・きめ細かさにおいて、フィリピン当局の対外広報・説明が日本に勝っていたのである。

初期対応を誤ったインドネシア政府インドネシアはどうか。最大の問題は、インドネシア政府が内外に発する情報は信じるに足るものなのか、その信頼性が揺らぎ続けていることだ。それは政治指導者の言動に負うところが大きい。

筆者がジャカルタに滞在した2月8日から11日までのあいだ、インドネシア国内の感染者数はゼロだった。中国から年間200万人以上の観光客がやって来て、また出稼ぎ労働者を数千人も受け入れているインドネシアで、感染者数ゼロというのはあり得るのか、そういう疑問を同国で会った有識者たちに投げかけると、彼らも首をかしげていた。

ちょうどこの時期に米国ハーバード大学の公衆衛生専門家が、中国とインドネシア間の航空路線、旅客数等を考慮すると、インドネシア政府は感染者の入国を見逃している可能性があり、早急に検査体制を強化すべきだという論文を発表した。これに対して、稚拙な対応をしたのが、当事者のテラワン・アグス・プトラント保健大臣である。外国の研究者から監視体制の甘さを指摘されて激怒した大臣は、専門家の指摘を真剣に取りあおうとせず「我が国を侮辱するものだ」と怒りを露わにし、「インドネシアが感染者ゼロなのは、全知全能の神のご加護があるからだ」と非科学的発言を口走ったりした。

軍医出身、鼻柱の強い保健大臣は、海外からの警鐘に反発し「インドネシアは感染者ゼロの国」といういささか感情も入り混じった自らの認識に自縄自縛状態に陥り、「インドネシアは神のご加護がある国」という感染拡大阻止になんの役にも立たない、むしろ有害な発言をしていたのである。

このような発言は、一部の狂信的ナショナリストを喜ばせるものであっても、国民のウイルスへの警戒心を弱めさせる間違ったメッセージだった。インドネシア政府は、感染拡大に備える貴重な時間を浪費してしまった。

そして3月2日、ついにインドネシア国内で初の感染者が確認されたことをジョコ・ウィドド大統領が発表した。国内感染者数は9日ごろから急増し始め、8日の感染者数6人が、9日19人、13日には69人となった。

その13日にジョコ大統領は、首都の玄関口スカルノ・ハッタ国際空港内で新型ウイルス対策に関する記者会見を行ったが、今度は大統領自身もつまずいた。わざわざトップリーダーが空港まで出向いて、保健大臣や空港スタッフを従えてしゃべったのは、今回の事態に対して「インドネシア政府は空港等での監視体制に万全を期している」というメッセージを込め、国民の不安を鎮めたかったのであろう。しかしこの席で大統領は「すべての情報を公表しているわけではない」と口にした。「社会の過剰反応、パニックを惹き起こすことを避けるため」という説明であったが、「やはり政府は何か重要な情報を隠しているのではないか」「3月2日以前に国内感染が出ていたのではないか」という疑念を国民のあいだに生むことになった。

危機下の政府広報にとって、最も重要なのは情報の信頼性である。「嘘はつかない」「隠しごとはしない」が鉄則であり、まず自国民に信頼されないことには、海外市民からの信頼を勝ちとることは難しい。

「大統領閣下、専門家の助けを借りなさい」

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ジョコ大統領=平野光芳撮影

13日のジャカルタ・ポスト紙で、シニア・エディターのエンディ・バユニは「大統領閣下、専門家の助けを借りなさい」という見出しで、ジョコ政権の危機対応の問題点、特に広報の拙さを指摘している。

彼によれば、中国での感染拡大からWHOがパンデミック宣言をするまでの期間、インドネシア政府の対応は「ぞっとする程アマチュア的」で、特に広報戦略のまずさが、危機的状況をさらに悪化させた。

まず、初感染が確認される3月2日までの対応が誤りだった。感染流入を阻止すべく各国が出入国制限策をとるなかで、観光客減の経済損失を恐れた政府は、ソーシャル・メディアのインフルエンサーを通じて、「インドネシア観光、歓迎」というメッセージを海外へ発信しようと試みた。状況認識の甘さから、ウイルス感染者が入国するリスクを自ら高めたのだ。

インドネシア政府の一連の初期対応は、「政府がしっかり監視しているから、ウイルスがインドネシア国内に入ってくることはない」という誤ったメッセージを自国民に送ってしまった。未知の病が世界中に蔓延する状況に不安を感じているインドネシア国民が頼れるのは唯一自分たちの政府であり、その言動が頼れないとなると、国民は恐慌状態に陥ってしまう。実際、国内での初感染が報道されると、パニックが起きてしまった。

混乱をこれ以上悪化させないために、大統領は危機対応の先頭に立つとともに、コミュニケーション・広報の専門家の力を借りるべきだ、とバユニは主張している。

バユニも認めている通り、危機下の広報・情報発信は大変難しい。人権を守り、パニックを惹き起こさないように細心の注意を払いつつ、必要な情報を共有し、社会的紐帯を高めていくことに、インドネシアも含めて各国政府は、今苦闘している。大切なのは「我々のリーダーが言うことなら間違いない」と国民が考えるような、政府と国民間の信頼関係を日ごろから培っておくことだ。

イスラムはウイルス危機をどう見るか

3月15日、ジョコ大統領は声明を発し(米国大陸に匹敵する広大な列島国家において、感染状況は地方によって異なるので)全国一律の措置は取らず、地方政府に対して、それぞれの置かれた状況に応じて、地方政府が効果的・効率的な措置を取るように要請している。

大統領の要請を受けて、ジャカルタ特別州アニス・バスウェダン知事が、ジャカルタ市民に向けたメッセージを発出し、ジャカルタ住民全員に人混みを避ける行動を取るよう求めた。

アニス知事が発したメッセージのなかで、日本の地方自治体の首長なら言わないであろうと考えられるのが、「崇高と思われる行事であっても、緊急でなければ延期すること。宗教講話などは、状況が落ち着くまで延期すべき」「宗教活動、信仰上の義務は、現下の状況に鑑み自宅で行うこと」といった宗教に関する項目だ。

インドネシア国民の約9割がイスラム教徒である。特にジャカルタのような都市部中間層、若者のあいだでは、イスラム教義を「善きもの」と考え、信仰に忠実な社会生活を送ろうとする「イスラム活性化」現象が強まっている。インドネシアのイスラム教徒は、今回の危機をどう考えているのだろうか。

インドネシア国民の宗教意識を調査研究している国立イスラム大学ジャカルタ校のジャムハリ副学長によれば、新型コロナウイルス危機に関し、インドネシアのイスラム指導者たちの見方は三つのグループに大別できるという。

第一は、新型コロナウイルスは天罰、という見方だ。近代化によって世俗化が進み信仰を忘れた人間が増えるなかで、神が怒り、罰として新型ウイルスを現世にもたらしたというのである。天罰ならば人間はただただ悔い改め、祈り、神の怒りが鎮まるのを待つしかない。

どこの国、いつの時代においても大きな災害が発生すると、この種の天罰論(天譴論)が現れる。2004年のインド洋大津波の時も天罰論が流れたし、日本でも東日本大震災の際、天罰論を口にした知事がいた。前述の保健大臣の「インドネシアが感染ゼロなのは神のご加護があるからだ」というのも、天罰論の裏返しである。

第二は、新型ウイルス発生は自然災害の一種であり、宗教とは関係ないという見方である。ジャカルタ特別州アニス知事は、元々米国、日本留学経験もあり、理性的なイスラム教徒である。行政担当者として合理的な判断に基づき、宗教活動の一部自粛を求めるアニス知事は第二の立場に立つイスラム教徒といえよう。

第三は、「人類が自らの手でこの災難を乗り越える能力を有することを証明する機会を、神は、与えてくださった。それゆえにこの危機を収束させるために、人間は理性と信仰の双方を総動員していかなければならない」という見方である。今回の危機を乗り越えるために、宗教が積極的に関わっていこうという立場である。

近代的な教育を受けているインドネシアのイスラム教徒で第一の主張をする人は少数、第二、第三の立場が大半を占めている。とはいえ未知のウイルスに対する不安が募るなか、心の中に天罰論が拡がってくるのを理性的信仰心でおしとどめている人は少なくないのではないだろうか。

危機に即した対応が求められる宗教実践

ところでイスラムという宗教は、個人の内面の信仰にとどまらず、一日5回の礼拝、毎週金曜の集団礼拝、毎年の断食月での断食と断食明け大祭など社会行動にまで関わることが、一つの特色だ。それゆえに今回の危機のなかでも、イスラム指導者は信者から具体的な行動指針を求められている。

インドネシア・ウラマー協議会(MUI)は、概して保守的なファトワー(イスラム法見解・勧告)を出すことで知られているが、3月16日に新型ウイルス対応に関するファトワーを発した。このファトワーは、検査で陽性反応が出た者、陽性反応が出ていなくても感染がまん延している地域に居住する者は、モスクでの集団礼拝への参加を控えるよう求めている。参加が禁止されるのは、モスク集団礼拝以外に、イスラム学習会やコーラン読誦会などの集団行事である。

陽性反応が出ておらず、感染が確認されていない地域の信者は、これまで通り毎日の礼拝、金曜の集団礼拝の義務を果たすことが求められている。その際も、自身が感染したり、感染を媒介しないよう、個人の礼拝用カーペット持参、礼拝前の石鹸での手洗い励行を、MUIは細かく指示している。

さらに19日にはアニス知事とMUIは、今後2週間ジャカルタ市内のモスクに関し、金曜の集団礼拝自体を行わないようイスラム教徒に勧告した。

ところでインドネシアには、プサントレンと呼ばれる独特のイスラム式教育制度がある。十代の青少年が寝食をともにしながらイスラム教育や一般教育を受ける寄宿制の学校制度である。教育文化省ではなく宗教省が管轄している。宗教大臣によれば、2020年現在、全国に28194のプサントレンが存在し、そこに寄宿する生徒は約500万人もいる。これだけの巨大な数の青少年が密接に関わりあって生活しているので、クラスター感染のリスクは相当高い。

そうした事態を避けるために、プサントレンの閉鎖が相次いでいる。大衆に人気のあるイスラム伝道師アア・ギムが運営する西ジャワ州のプサントレンもその一つで、アア・ギムは活動を2週間休校し、生徒たちを帰郷させることを発表した。3月14日付けソーシャル・メディアの自身のアカウントで、彼は個人で行う礼拝の質を高め、神に社会の安寧を祈るよう訴え、情報を注意深く聞き、パニックや過剰反応をしないように、イスラム同胞に呼びかけている。

信仰をもつことの強さ

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ジャワ島中部ジョクジャカルタ郊外のパランクスモ海岸で、ラマダン明け
の恒例の集団礼拝に参加した女性たち
=2009年、井田純撮影

おびただしい数の信者が祈るイスラムの集団礼拝の姿を見たり、韓国の教会でのクラスター感染の報道などに接すると、「宗教とは、合理性に欠けるもので、新型ウイルスと戦う上で障害となってしまう」と感じている人も少なくないのではないだろうか。世俗的な日本社会からは、そう見えてしまうからも知れないが、その認識は必ずしも正しくない。

上記の通り、保守的とされるインドネシアのイスラム組織においてさえ、彼らが重要な宗教義務と考える金曜の集団礼拝を取りやめる等の柔軟な対応が行われている。そして信仰が、危機の作り出す不安、疑念を打ち消し、社会的連帯を強める武器となっている点も見逃せない。

世界最大のイスラム組織ナフダトゥル・ウラマーが発信するオンライン・メディア「NUオンライン」(3月16日付け)は、リベラル・寛容派の指導者ムストファ・ビスリ師(愛称グス・ムス)のメッセージを伝えている。グス・ムスは新型ウイルス危機に直面するなかで「すでに膨大な物理的な努力が行われている。しかし忘れてはいけないのが、信仰のしもべとして、ウイルスも含めてすべてを司る神への祈りとともに、精神を高みに置こうとする霊的な努力」であると述べている。

グス・ムスは、未知のウイルスが引き超す社会不安と戦うために、信仰が有効な武器であると考えているようだ。信者たちに対して、礼拝前の「身体の清め(wudhuw)を完璧なものとせよ」と公衆衛生の理にかなった指示をまず与え、続けて世界の安寧を祈るハディース(宗祖ムハンマドの言行)の一節を繰りかえし祈ることで、祈りに集中し、心が乱されることないよう訴えている。

不安が世の中を覆うなか、人は、人間の持つ可能性と限界、生きることの意味、世界が存在することの意味を自問せざるを得ない。不安との戦いのなかで、世俗的な日本社会が持ちえない強固な鎧を、インドネシアのイスラム社会は身につけているように思える。それが時に足かせになるとはいえ。

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3月26日現在政府発表によれば、インドネシア国内感染者数893人、死亡者数78人で感染拡大に歯止めがかからない状況である。ジャカルタ特別州のアニス知事は20日、首都ジャカルタに非常事態を宣言し、企業に在宅勤務導入を指示する等の措置がとられたが、インドネシアは、これからさらに大きな試練の時を迎える。断食月ラマダンが4月下旬に、断食明けの大祭レバランが5月下旬に予定されているのだ。

インドネシアでは、日本の盆・正月のように、家族が集まって断食明け大祭を祝う。例年この時期には約2000万人が国内外を移動し、帰省ラッシュが発生する。中国では春節での大量の人の移動が、コロナウイルスを全土に拡げてしまったことは記憶に新しい。すでに国内科学者の一部から、断食月、断食明け大祭時期に向けて、感染地域の封鎖を主張する声が出始めている。

ラマダン、レバランに対して、インドネシア政府そして世界中のイスラム宗教指導者たちがどのような判断を下すのか、注視していきたい。