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小川 忠

跡見学園女子大学教授

国際交流基金ジャカルタ日本文化センター元所長

 

 

今年5月、インドネシアでイスラム過激派絡みの自爆テロ事件が相次いで発生した。13日に東ジャワ州の州都スラバヤにあるキリスト教会3か所で爆発が連続し、12人が犠牲となった。これを皮切りにしてこの日夜、スラバヤ近郊シドアルジョのアパートで爆発があり、現場に踏み込んだ警察官が起爆装置を握った容疑者を射殺した。さらに翌14日にはスラバヤ警察署の正面にバイクで乗り付けた男女が自爆して、検問中の警察官を負傷させた。

 

一連のテロの伏線となったのが、事件に先立つ5日前に首都ジャカルタ郊外デポックにある国家警察機動隊本部の拘置所で起きた暴動である。立てこもった収監者が、所内で製造した爆弾を爆発させ、警察官5人と収監者1人が死亡した。暴動を起こしたのは、「イスラム国」(IS)への連帯を示す過激派組織ジャマア・アンシャルット・ダウラ(JAD)の構成員だった。

 

この暴動立てこもり事件をきっかけに、JAD指導層が全土に潜伏する細胞組織に対し、警察などへの攻撃を指令した、と治安当局はみている。

 

スラバヤの事件が異様なのは、テロ攻撃が家族という単位で行われたことだ。3つの教会爆破に関して、ディタ・プトリアント容疑者(45)、その妻プジィ・クスナディ容疑者(42)と9歳と12歳の娘、10代の息子2人が、それぞれ自爆攻撃を仕掛けた。

 

第2のシドアルジョ・アパートの事件では、アントン・フェブリアント容疑者(47)が自室で爆弾を製造しようとしていたようで、誤爆によって妻(47)と息子が死亡し、アントン本人は射殺された。

 

第3のスラバヤ警察署爆破事件については、2台のバイクにまたがったトリ・ムルティオノ容疑者(49)とその妻トリ・エルナワティ容疑者(42)、2人の息子、1人の娘が警察署に突入し、夫婦と息子たちは死に、少女は負傷したが生きのびた。

 

東南アジアの過激派動向に詳しい紛争政治分析研究所のシドニー・ジョーンズ所長によれば、夫婦や兄弟姉妹のみならず、子どもも含めて一家全員がテロリストと化したプトリアント一家の自爆攻撃は、過去に例のないケースである。

 

家族テロの背後には、ISの影が見える。一時はイラクとシリアにまたがる地域を支配したが、昨年、領地の大半を失い、今は存亡の危機にある。軍事的劣勢が強まるなかで、ISはソーシャルメディアを通じて、世界中のシンパに欧米諸国やIS掃討に加わる国々への攻撃を呼びかけている。

 

世界最大のイスラム人口を擁するインドネシアから、IS最盛期には500~700人もがISの戦闘に加わるためにイラクとシリアに渡ったが、行き場を失った彼らも東南アジアへと活動拠点を移そうとしている。そうした情勢にあって、世界中のメディアの注目を集める「めざましい攻撃」を彼らは画策していた。

 

以前にIS指導者は、欧米やアジアのISシンパに対して「家族全員でシリアに移住し、夫はイスラム戦士として戦い、妻はイスラム戦士を生み育て、子を汚れなきイスラムの理想の国で育てよ」と勧誘していた。

 

しかし今では「主戦場はもはやイラクやシリアではない。自分たちの国で、家族全員で立ち上がれ」と説法を変えている。過激思想プロパガンダの観点から、家族関係はソーシャルメディア以上に確実に伝わるうえ、呪縛性が強く、当局の摘発を受けるリスクも低い。

 

ISに限らず、過激組織が家族の絆を利用してテロのネットワークを拡げる危険性については、これまでもテロ専門家たちが指摘してきた。イタリアの研究者の報告では、70年代から80年代にかけてイタリア国内でテロをくり返した「赤い旅団」の創設者は学生夫妻であり、組織メンバーの25%が配偶者、兄弟姉妹など少なくとも1人以上の親族を「同志」としていた。2011年の米同時多発テロ事件においては、19人のハイジャック犯人中6人が兄弟関係にあった。

 

その後も、2013年のボストンマラソン爆弾テロ事件犯人のツァルナエフ兄弟、2015年1月パリのシャルリ・エブドー誌襲撃事件犯人のクアシ兄弟、同11月のパリ同時多発テロ事件犯人のアブドゥラム兄弟、同12月の米カリフォルニア州サンバーナディーノ銃撃事件犯人のサイード・ファルク夫妻……、と家族テロは続いている。

 

とはいえ、スラバヤのディタ・プトリアント一家のケースは、夫婦や兄弟のみならず2世代にわたる家族全員が自爆しており、年端のいかない少女も巻き込んだ犯行は、あまりにショッキングかつ前例のないものだった。

 

5月13日早朝、まずプトリアント容疑者の息子2人がバイクに乗って、サンタ・マリア・カソリック教会に現れ、教会の前で最初に自爆した。その直後に、プトリアント容疑者が運転する車で妻プジィ・クスナディ容疑者と2人の娘がインドネシア・キリスト教会に乗りつけ、教会内に押し入った母娘3人は腰に巻き付けた爆弾を起爆させた。最後に、プトリアント容疑者は1人で近くのスラバヤ・ペンテコスタ教会駐車場に止めた車の中で自爆したのである。

 

過激組織の側からすると、プトリアント一家6人の家族総出の自爆テロは、世界中を震え上がらせる「めざましい攻撃」だったと言える。であれば、これからこうした家族テロが頻発するのか。

 

前述の紛争政治分析研究所のジョーンズ所長はこのような予測に否定的で、いかに狂信的な過激思想の信奉者が自分たちの大義のためだとはいえ、血を分けたわが子を死に追いやることには躊躇するのが普通だという。「イスラムの大義に殉じて皆で天国に行こう」という親の言葉を、子どもが受け入れていたかどうかも疑問がある。自爆した10代の息子のすすり泣いている姿を、テロの直前に目撃した、という近隣者の証言もある。少年の内部に様々な葛藤が生じていたのではないか。

 

プトリアント一家の事件報道に接して、私が当初連想したのは、社会から隔絶された孤独な家族の姿だった。しかし一家に関する現地からの続報が伝えるのは、そうしたイメージにはそぐわないものである。

 

事件直後、プトリアント一家にはシリア渡航歴があるとされたが、捜査が進展し、これは否定された。プトリアント容疑者を知る近所の人びとは、「彼は隣組の組長を務めたこともあり、静かで礼儀正しい人で、その妻も月1度の地域の寄り合いに参加する普通の人だった。息子たちは妹の面倒をよく見る優しい青年たちで、リベラルな校風で知られるイスラム学校学生評議会のメンバーだった。妹たちも地域に溶け込んでいた」と証言する。プリアントの父も、兄弟姉妹も、彼とその家族が自爆テロを決行するとは想像もしていなかったという。

 

しかし治安当局は捜査の結果、プトリアント容疑者をJADスタバヤ地区責任者と判断した。シドアルジョで誤爆したアントンとプトリアントは、同じ高校の級友で家族ぐるみの付き合いをしつつ、同じJAD細胞のメンバーだった。彼らと家族は、血縁者にも、近隣者にもその正体を隠し続けていたのだ。

 

一見地域と結びついているように見えて、実は社会とのつながりを峻拒していた家族が見つめていた無明の闇は、一層濃く冷たかったのではないか。

 

ここで感じるのが、現代インドネシアにおける家族の変容だ。スラバヤの位置するジャワ島では、「集うておれば食足らずとも苦しからず」ということわざがあるように、かつては3世代にわたる同居も普通だった大家族が、自分の子どもや兄弟姉妹の子どもを分け隔てなく育てていた。そして、そんな大家族を取り巻く村落地域社会では、ゴトンロヨンと呼ばれる相互扶助の慣習があり、互いをよく知るムラの仲間たちが合議し、共同作業を通して社会のきずなを確かめ合っていた。

 

ところが近代化、経済発展とともに、ジャワの人びとは村落から都市へと移動し、家族形態も大家族から核家族へと変化し、家族の血縁社会、地縁社会との結びつきは希薄なものへとなっていった。

 

プリアント一家のケースは、血縁社会・地縁社会から切り離された夫婦、公的空間と私的空間の間にはっきりと線を引く近代人の内面に生じたアイデンティティー不安に、過激思想が流入し化学反応を起こした結果、生じた事態と考えられないだろうか。

 

であるならば、今回の家族テロは、男尊女卑的な家父長が家族を巻き込んで引き起こしたイスラムの前近代性、狂信性ゆえではなく、近代化、グローバリゼーションによって加速する現代社会の亀裂ゆえ、とも考えられる。

 

昨今の「イスラム嫌い」の風潮のなかで、今回の家族テロをイスラムと結びつけ、イスラムを「狂信的」「理解不能」「異質の文明」と断じるだけでは、物事の本質を見誤るのではないだろうか。イスラムを含め、長年この地域が育んできた多様な文化、価値観が共生する「伝統知」をいかに現代世界に適合させ、人の絆という社会資本を復活させていくのか。インドネシアの模索は続く。