5月にマレーシアでマハティール元首相が15年ぶりに政権に返り咲き、中国離れを起こしている。他の東南アジアの国々はどうなのか。インドネシアでは5月に中国の李克強首相が訪問し、ジョコウィ大統領(注1)と首脳会談をした。大統領は海洋安保で中国をけん制し、中国寄り決定とみられた高速鉄道でも距離を置き始めている。ジョコウィ政権の対中戦略の深層とその本音、そして日本への対応について日本有数のインドネシア・ウオッチャーである古宮正隆氏の分析をもとにひも解いてみた(Mainichi Asia Business Institute: 毎日アジアビジネス研究所 清宮克良)
係争の発火点
北緯4度東経108度15分。
南シナ海に浮かぶインドネシア領ナトゥナ諸島海域。
インドネシアが設定する排他的経済水域(EEZ)と中国が管轄権を主張する南シナ海の九段線(中国が1953年から全域での権利を主張するため地図上に引いている破線)が、一部で重なる両国の静かな係争の発火点だ。
今年4月23日、ハディ国軍司令官がナトゥナ諸島を緊急視察した。司令官は「5月から段階的に陸海空統合軍の強化方針」を示した。ジャワ島から砲兵大隊、レーダー部隊、 海兵隊からなる2,000人の兵士を 5 月にナトナ諸島に移動させる旨、表明した。インドネシアの領有権を強調してみせた行動は、5月7日に予定されているジョコウィ大統領と中国の李首相の首脳会談を意識したことは明白だった。
ナトゥナ諸島の領有権問題に熱い視線を注ぐ大物がいる。大インドネシア運動党(ゲリンドラ党)のプラボウォ党首=写真(注2)だ。2014年大統領選のジョコウイ大統領の対抗馬であり、2019年4月の次期大統領選にも立候補することが予想されている。いわゆる大統領の政敵である。
プラボウォ党首がさかんに引用する米国人作家のフィクション小説がある。
「ゴースト・フリート(Ghost Fleet)」(P.W.シンガー、オーガスト・コール著)。2015年に発刊された対中脅威を警告する書籍だ。(日本では二見書房から「中国軍を駆逐せよ! ゴースト・フリート 出撃す」のタイトルで出版されている)。
<インドネシアが第二次チモール紛争で国家が破綻・消滅する>
<マリアナ海溝で巨大ガス田が発見され、中国新政権は、この確保に動くことし、新たな「第三列島線」を設定し、西太平洋を支配する>
プラボウォ党首は中国の名前こそ出さないが、小説を引用しながら、「インドネシアが資源・エネルギー管理を最重視しなければ国家の存立にかかわる」と間接的表現ながら対中警戒を訴え、「対中認識が甘い」(同氏周辺)と、ジョコウィ政権との違いを強調している。
「インド太平洋」安全保障
ジョコウィ大統領は海洋安保ではプラボウォ党首ほど強烈でないにしろ、中国をけん制する姿勢を示してきた。その証左は、5 月 30 日、ジャカルタのムルデカ(独立)宮殿におけるインドのモディ首相との首脳会談に現れている。 およそ3週間前の中国・インドネシア首脳会談と様相を異にしているのは、インドとの共通の「インド太平洋地域の安全保障」の一環として、 「アセアン主導メカニズム」と「環インド洋連合」の「国連海洋法条約遵守」を含む安全保障枠組みの強化で合意したことである。具体的にインドネシアとインドは定期的な海軍演習で合意、インド・太平洋地域の安全保障情報交換の強化で一致した。インドのヒンドスタン・タイムズ紙は「両国の協力は、中国が戦略的な東シナ海、南シナ海で軍事力を誇示していることに対応するものである」と報じた。
米国と同盟関係のある日本政府にとっても、「インド太平洋地域」の括りは外交・安保のキーワードになっている。安倍晋三首相は2016年8月、ケニアで開催された第6回アフリカ開発会議で「自由で開かれたインド太平洋戦略」を宣言した。太平洋は日米同盟で、さらにインドを加えることによって、アジアにおいて中国に対抗する意味合いがある。
米国のマティス国防長官が2018年1月22、23日にジャカルタを訪問、ジョコウィ大統領、リアミザード国防相、ハディ国軍司令官と南シナ海問題などで意見交換した。その際、マティス長官は、あえて「北ナトゥナ海」という呼称(2017年7月からインドネシアが呼称変更。中国が抗議し、インドネシアはそれを無視している)を使って、「インドネシアは太平洋とインド洋の海洋支点である」とインドンネシアの地政学的な重要性を力説した。
インドネシアがナトゥナ海域に代表される領有権をアピールするのは、米国、日本、インド、オーストラリアの「対中包囲網」に乗り、中国の脅威から主権を守ろうとする戦略がある。
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高速鉄道をめぐる食い違い
ジョコウィ政権の対中姿勢において対応の変化をみせているのがジャカルタ・バンドン高速鉄道だ。中国が密かに先行し、日本が対抗案を出したが、中国が勝利した案件である。
5月7日、ボゴール宮殿でジョコウィ大統領と李克強首相の首脳会談が行われた。ところが、ジャカルタ・バンドン高速鉄道をめぐる会談内容の報告でインドネシア側と中国側で奇妙な食い違いがあった。
インドネシアのブディ運輸相は「首脳会談では、ジャカルタ・バンドン高速鉄道はBtoBなので政府間の話ではないとして話題に上らなかった」と発言。リニ国有企業相=写真(注3)も「本件は円滑に進捗しているので首脳会談では話題に上らなかった」と発言しており(アンタラ通信)、インドネシア側の他の報道でも首脳会談の正式議題としては報じられていない。
しかし、中国の国営通信社・新華社は「本件の実現につき両国で努力すること」が覚書にして取り交わされたと報じている。
それにしても、中国側がプロパガンダであるにせよ首脳会談で議題として確認され覚書まで取り交わされたと明解なのに比べ、インドネシア側のあいまいさが際立っている。
この背景には、ジョコウィ大統領は高速鉄道への深入りを避ける意向であったが、本件に関与してきたリニ国有企業相とルフット海洋調整相=写真(注4)が覚書に持ち込んだ、との内部情報がある。
ジャカルタ・バンドン高速鉄道の問題点は、実現が危ぶまれることであり、融資を担当する中国国家開発銀行は早くも本件の不良債権化を危惧している。その場合の対応策を中国側は協議したがったがインドネシア側は拒否した。
インドネシアのテンポ誌 (5 月 14日号)は「本件中止がベストだが、それが難しければ、中高速鉄道に変更して立ち寄り駅を増やして乗客数を増やすか、中国側が目指す駅周辺開発の採算計画を見直すべきではないか」と主張している。
ジャカルタ・バンドン高速鉄道は2015 年 9 月 2 日の閣議で日本案が斥けられ、中国案に決定したが、その際の日中案と比較すると、現在、次のような齟齬が見られる。
<予算>
現在の中国案の予算は、当時の 55 億ドルから 60.71 億ドルに増額され、価格的には日本案より高くなった。
<納期>
2015 年の閣議決定時には、日本案は工事完了が 2019 年、営業運転開始が 2021 年であったのに対し、中国案は工事完了 2018 年、営業開始は大統領選で実績誇示に間に合う2019 年となっていた。現在、リニ国有企業大臣は「工事は 26 ケ月で完工する」として、2020年完工、2021年営業開始と標榜している。しかし、陸東福・中国鉄路総公司総経理は、「土地収用が全て完了している場合で、完工には 3 年かかる」としている。実際、土地収用は 5 月時点で 64.2%しか出来ていない。したがって、完工は早くて 2021 年以降にずれ込み、うまくいったとしても営業開始は 2022 年以降になるとみられる。
現時点で、ジャカルタ中心部を始発駅とした日本案からジャカルタ郊外のハリム始発に変更されたうえ、コストはより高く、営業開始も日本案より遅くなったことになる。しかも、今や20万ルピアに設定されたチケット代では赤字は確実であり、中長期的にもジャカルタ・バンドン間のみでは採算的に成り立たないことが予想されるに至った。
大統領「計画にとどめ、実行せず」
インドネシアと中国の高速鉄道担当幹部は5月7日の両国首脳会談を前に、ジャカルタと北京を往来し、活発に準備をしていた。
リニ国有企業相が 4 月 5 日訪中し、中国鉄路総公司と面談。5 月 2~4 日、陸東福・鉄路総公司総経理がインドネシアを訪問し、リニ国有企業相とともにハリム空港近くのトンネル予定工事現場やワリニ地区のトンネル工事(予定)現場を視察した。
一方で注目されるのは4月13日、北京でインドネシア・中国企業同士の協力による233億ドルに上るインフラ投資7件の覚書・協力協定が調印されたことだ。
交渉はジョコウィ大統領から対中民間投資担当を任じられたルフット海洋調整相があたった。調印式の席上、ルフット大臣は「大型ディールの実現が重要」と強調した。李国強首相、王毅外相はルフット大臣と面談し、一帯一路構想を踏まえてインドネシアの開発計画とリンクさせたい意向を伝えたとされる。
しかし、インドネシア投資調整庁の統計では、中国案件はコミットと実現の格差が極めて大きいとされている。
報道されていないが、ジョコウィ大統領=写真=は2019年4月の大統領選挙前には中国との案件について計画にとどめ、実行契約はしないように指示した。世論の対中警戒感を勘案、親中派とみられることを危惧するからである。
大統領は李首相との首脳会談で「両国は大国同士として、その友好は法と国際規範に基づいた、平和、安定、世界の福祉に有益なものでなければならない」と中国の軍事拡大に釘を刺すのを忘れなかった。
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レトノ外相の不満
河野太郎外相は6月25日、インドネシアを訪問し、ジョコウィ大統領を表敬後、レトノ外相=写真(注5)と会談した。
実はジョコウィ政権が成立後の3年半で、日本の外相がインドネシアを訪問したのは、これが初めてである。レトノ外相は、これに対して、自分も対抗して訪日したくないと不満を周囲に漏らしていた。今回の河野外相訪問により、遅まきながら不満の解消になったと思われる。河野外相はルフット海洋調整相と第2回日本・インドネシア海洋フォーラム合同委員会を開催した。
ジョコウィ大統領は今年9月に日中韓3カ国を訪問する。かつて「日中天秤外交」と揶揄された大統領であるが、ナトゥナ海域対応やジャカルタ・バンドン高速鉄道に象徴されるように中国離れを起こしているのが本音のようだ。
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【古宮正隆氏の深層分析】
ジョコウィ大統領は就任直後、北京で開催されたアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議(2014年11月)の記念撮影でホスト役の習近平国家主席の隣に立つなどの厚遇を受け、習主席と親しくなった。
翌2015年4月、ジャカルタで開催されたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年会議=写真、中央はジョコウィ大統領=には日中首脳とも出席したが、安倍晋三首相が同会議後にすぐ帰国したのに対し、習近平主席は2国間訪問の意味もあり、少し長く滞在し、時間をかけてジョコウィ大統領と応対した。外交経験の浅い大統領が習主席に親近感をもったのは事実である。
それが転換したのは、2016年3月から6月にかけて中国の南シナ海九段線近くのナトゥナ海域での不法中国漁船の存在と、それを取り締まろうとしたインドネシア海軍に対する中国側公船の抵抗があったからだ。同6月23日、ジョコウィ大統領はナトゥナ島海域を訪問、海軍旗艦上で閣議を開き、この海域でのインドネシアの主権を広くアピールした。実はユドヨノ前大統領時代にも、ナトゥナ海域で訓練中のインドネシア軍艦に対して中国軍艦が退去を要求するという事件が発生した。ユドヨノ氏は大きなショックを受けたが敢えて公表せず、プルノモ国防相を日本に派遣し、独立時のスデイルマン将軍(旧日本軍が育成した郷土防衛義勇軍出身)の銅像を防衛省本部に寄贈して、日本への連帯の希望を黙示した。
これに対し、ジョコウィ大統領は堂々と見える形で警戒感を示すとともに、対中姿勢を転換した。これが揺らぐことはないだろう。
ジャカルタ・バンドン高速鉄道の件は、5月の首脳会談に李克強首相が来るので急きょ対応策を練った。報道されていないが、ジョコウィ大統領は「この件は自分は取り上げない」意向となった。その結果、首脳会談の正式議題ではない形となり、インドネシア側の報道には出なかった。しかし、本件を推進してきたリニ国有企業相は何とか「努力目標」としてでも覚書を交わすことを画策、本件の調整を担当したルフィト海洋調整相も同調し、本件が覚書に持ち込まれた。リニ大臣はアストラ・インターナショナルCEOとなった後、メガワティ元大統領に接近し、ジョコウイ大統領に乗り換えたやり手の女性政治家である。本人自身は東京に溺愛する孫がいることもあり、「日本好き」、と称している。
日本との関係でいえば、自他ともに認める親日派であり、インドネシア日本友好協会理事長であるゴーベル商業相(当時)=写真(注6)が、高速鉄道案件で日本案を強力に支持する発言を続けて、中国要人からジョコウィ大統領への抗議を招いたこともあり、中国案に決する直前の2015年8月に更迭された。その後、閣内で日本とのパイプ役として期待されたのがルフット海洋調整相だ。2016年10月の来日時、安倍首相、菅官房長官らとも会談した。このためルフット氏をトップに設立されたのが両国の海洋フォーラムだ。
2017年1月の安倍首相のインドネシア訪問時に、ゴーベル氏がジョコウィ大統領から日本担当特使に任命された。それ以降は、ゴーベル氏が、両国を頻繁に往復しながら実質的につないでいるというのが実情だ。そのメンターとしてインドネシア日本友好協会会長であり、ゴーベル氏を引き立ててきたギナンジャール・元大統領諮問会議議員=写真(注7)の存在がある。ジョコウィ大統領と河野外相の会談には、プラティクノ国家書記、レトノ外相、アリフィン駐日インドネシア大使とともにゴーベル氏も同席した。日本外相としてアセアンの中核国インドネシア訪問が政権成立後3年半というのは、遅まきではあるが、印象の強い河野外相の6月の訪問はそれを取り戻す成果があったと思われる。インドネシアでは、与野党ともに嫌中・親日が大多数であり、日本側は政官財ともインドネシア側の期待にきちんと対応していくことが求られている。(談)
■古宮正隆氏
Komiya Associates LLC CEO
早稲田大政経学部卒。1967年4月、三菱商事入社。業務部、ジャカルタ駐在事務所所長代行などを経て2017年6月まで業務部顧問。早大アジア太平洋研究センター特別研究員、日本インドネシア協会理事など歴任。
主要人物の略歴
(注1)ジョコ・ウィドド大統領
ガジャ・マダ大(ジョグジャカルタにあるインドネシア最古の名門国立大学)林業学部卒。家具製造会社経営を経てスラカルタ(通称ソロ)市長、ジャカルタ特別州知事を歴任。2014年大統領選で、カラ副大統領とコンビを組み、プラボウォ・ハッタ正副大統領候補に勝利し、2014年10月に第7代大統領就任。闘争民主党所属。通称ジョコウイ。57歳。
(注2)プラボウォ・スビアント大インドネシア運動党(ゲリンドラ党)党首
陸軍士官学校を首席卒業。スハルト元大統領の二女ティティック氏と結婚(のち離婚)。陸軍戦略予備軍司令官など歴任。2009年大統領選ではメガワティ大統領候補の副大統領候補として、ユドヨノ・ブディオノ正副大統領に敗北。66歳。
(注3)リニ・スマルノ国有企業相
アストラ・インターナショナル(トヨタ車、ホンダ・オートバイとのパートナー)CEOなどを歴任。メガワティ元大統領政権時代には商工相、2014年大統領選後はジョコウイ政権移行を主導し、大統領の信任が厚い。その後、メガワティ氏から嫌われた。高速鉄道をめぐっては中国案を支持し、中国派とみられている。59歳。
(注4)ルフット・パンジャイタン海洋調整相
陸軍士官学校を首席卒業。ワヒド大統領(1999年10月~2001年7月)時代、シンガポール大使から商工相に起用。2016年10月、同12月、2017年12月に来日し、日本との窓口として海洋フォーラムを設置。大統領首席補佐官から政治・法務・治安調整相を歴任、政治工作などを担当してきた。70歳。
(注5)レトノ・マルスディ外相
ジョコウィ大統領と同じガジャ・マダ大の同窓。ノルウェー・アイスランド大使、外務省欧米総局長、オランダ大使を歴任。就任直後、ユドヨノ前大統領の「百万人の友、ゼロの敵」方針を批判した。55歳。
(注6)ラフマット・ゴーベル日本担当特使
パナソニックのインドネシアパートナーとして一代で大企業グループを育てたモハマド・ゴーベル氏を父に持ち、中央大学に留学して卒業。ゴーベル・インターナショナル社長、パナソニック・ゴーベル・インドネシア社会長。ジョコウィ政権で商業相。ギナンジャール氏の引き立てでインドネシア日本友好協会理事長を務める。55歳。
(注7)ギナンジャール・カルタサスミタ・インドネシア日本友好協会会長
バンドン工科大の在学中に賠償留学生一期生として東京農工大に留学して卒業。空軍から国家書記局官僚の時、1980年に設立された大統領直属の国家買付チーム事務局長として頭角を現した。スハルト元大統領(1967年3月~1998年5月)政権時、投資調整庁長官、鉱業エネルギー相、国家開発企画庁長官、経済・金融・産業担当調整相を歴任。ハビビ政権(1998年5月~1999年10月)で経済・金融・産業担当調整相から国民協議会副議長に転じ、ユドヨノ政権(2004年10月~2014年10月)時には地方代表議会議長、大統領諮問会議議員。インドネシア日本友好協会を設立し会長を務めるインドネシア知日派の筆頭。インドネシア赤十字総裁代行(総裁はカラ副大統領)。ゴルカル党名誉会議副議長(議長はハビビ元大統領)。退役空軍大将。77歳。
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